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大学時代のこと(その3)

 ロンドンを起点にドーバー海峡を渡り、ユーレールパスを使ってパリへ。その後、スイスのジュネーブからレマン湖畔を東へ。モントルーを経由してルガノへ。次のイタリアではコモ、ミラノ、ベネチア、フィレンツェと南下し、ローマに到着。その後トルコ航空でイスタンブールへ一気に飛んだ。映画『ミッドナイト・エクスプレス』の雰囲気が漂う空港からバスで中心に入り宿を見つけたが、やはりトイレは異文化だった。親日的で居心地のいいトルコを離れ、長距離バスでバルカン半島を北上し、オーストリアのグラーツへ。ウィーンからハンガリーのブダペスト、その後ミュンヘン、アムステルダムを周った後、復路便2日前にロンドンに到着した。

一か国を3日前後滞在すると次の国へ移動するという過密スケジュールだった。自由さを旅に求めながらも、結果的には詰め込み過ぎのアップアップの日々で疲労だけが蓄積していった。何より一番苦労したのが宿の確保だった。少しでも節約しようとユースホテルを滞在先に選んだが、思った以上に遠かったり、たどり着いたがすでに満室だったり。今ならインターネットで予約も確認もできるが、当時はその苦労も旅の一部だった。

旅の思い出はすべてカメラにと、旅の直前にカメラを購入し、フィルムも十分に用意した。少年たちとサッカーしたイスタンブール、チェコの自動車会社の人と飲み明かしたブダペスト、ヘルマン・ヘッセの生家前の写真などを楽しみに、帰国後すぐ生協で現像をお願いした。しかし返ってきたのは「残念ですが写っていません」のひと言だった。慣れない新品のカメラで、フィルム装填が正しくできていなかったのが原因だった。

パリでワインを飲み過ぎてメトロの終着駅で降りられず、車庫から線路を歩いたこと。旅の途中、友人との関係疲れで別れたブダペスト。日本からの手紙が届いていて感激したアムステルダム中央郵便局。分かれた友人とのロンドンでの再会など…。

さまざまな旅の思い出は今も心に深く刻まれ、心の引き出しからいつでも取り出すことができる。長いと思っていた四十日間も、振り返ってみると時間軸上の一瞬に過ぎなかった。 

旅を通して実に多くの学びと刺激があった。そして、やがて旅を職業とすることにつながっていった。

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