令和の教育

私は高校野球を教えている。

高校野球は厳しい。きつい。辛い。

それが当たり前

そう思っていた。


私自身、野球を通して学んだことが数多くある。


その多くが、きついことにも耐える。
苦手なことを克服すれば以前よりも成長できる。

という考えの元にあった。


「下手くそなんだから練習しろ」
「努力しないものは帰っていい」
「辛いことから逃げるな」

そんな言葉が普通にグラウンドに飛び交っていたし、自分も言っていた。


おかしい。


そう気がついたのはごく最近のことだ。


我々の時代は帰れと言われても絶対に帰らない。
怒られたら自分から謝罪に行くのが当たり前。
どれだけ罵倒されても立ち向かうことが当たり前。
常に悔しいという感情が心の根底にはあった。


今は帰れと言われれば帰る。
怒られたら怒られっぱなし。
悔しいというより悲しいが圧倒的。


「日本人は自己肯定感が低い」


この背景にはさまざまな複雑な現状がある。


これは誰が悪いのか?
我々大人か?

少なくとも子どもは何も悪くない。

ならば大人が変わるしかない。


野球の指導をしている上で感じた疑問は、

技術指導よりも先にやることがある

そしてそれを僕はやりたかったのだ。


やらされている生徒をもう見たくはない。

表情が暗く、目の輝きが失われている生徒を見たくはない。

希望とわくわくに満ち満ちた目

そんな目を僕はずっと見ていたい


親にやれと言われたから
先生にやれと言われたから
こっちの方が効率がいいと言われたから


といったものではなく

もっと心の奥の本当の気持ちに素直になる

本当の自分はどうしたいのか

なぜそうしたいのか

そこを引き出し、全員が同じ方向を向く。
これが本当のチームだ。


そこに初めて助け合いが生まれる。

そしてそれは想像もつかないくらい大きな力を生む。

それが見たくて僕は教員をやっていたのだ。

令和の教育はそこにヒントがある。

教育を変えたい。

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