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【出資拒否】早明浦ダムに出資拒否した香川。その経緯まとめ

最近デマを話す輩がほんと多く、心を痛めています。
四国の水がめである早明浦ダム。
このダムは香川県が出資拒否し、他県にすごい迷惑をかけたのにもかかわらず最近は香川県民が「そんな事実はない」という始末です。

残念ながら香川県が出資拒否したのは事実です。

なぜ香川県民がそんなことをするのかといえば、自分の恥ずかしい歴史を隠したくない心情が働いているのだと思いますが、リビジョニズムに走っているのだと思います。

いかに正しい順での歴史経緯をまとめます。

徳島が早明浦ダム許可を出した条件

1.神戸‐鳴門ルートとの優先権との交換

 徳島県はそれまで愛媛県が苦難の末誕生した柳瀬ダムが建設当初(昭和26年~昭和32年頃)から違法利水を行っており、賠償交渉も請求した額面の10分の1しか取れず、時の徳島県知事・原菊太郎はこれに激怒します。本人の言によれば、

「今後一切分水まかりならぬ!」
「いくら前向きにと言われても儂は後ろ向きでごわす!」

しかし、その原徳島県知事も前向きにならざるを得ない事態になりました。
原知事は「道路き〇がい(徳島県議会史の原文ママ)」と呼ばれるほど道路整備が大好きな方で、どうしても鳴門ー明石間ルート架橋の優先権が欲しかったのです。
昭和35年ごろから「四国を開発するには橋を徳島に優先する代わりに徳島は香川は分水認めれば?」という意見が民間から上がってきます。これに飛びついたのが原知事でした。ここで知事の態度は軟化したのです。

2.徳島の膨大な建設費の肩代わり

もう一つは早明浦ダムの建設費用です。早明浦ダムは現在でも日本の10指に入る巨大ダムです。当然当初の予定費用として170億円、結果的に334億円の巨費になりました。当時の徳島県の予算が300億円弱ですからいかに巨費になるかわかるかと思います。

3.そして昭和37年7月14日の覚書

結局、四国四県は徳島で開かれた会議の席上で次の合意に至りました。

明石ー鳴門ルートの優先権問題と分水問題は別に考える。
徳島の巨額の費用は香川・愛媛に振り分ける

つまり建設費用を負担する方の条件を呑む代わりに徳島は分水を認めるという合意が形成されたのです。つまり香川と愛媛は徳島の建設費用を追う義務があるのです。

香川と愛媛の出資拒否

香川が出資拒否をはじめたのは昭和39年の5月ごろです。この間3日置きに会議を開き、この会議は7月まで続きました。分担の額が話し合われましたがこの香川の自分勝手な開き直りは当然徳島が飲めるものではありませんでした。

結局は国と徳島が話し合った結果、架橋問題で国ともめたくなかった徳島が全額負担する形で決着したのです。そのとき交渉に当たった武市徳島県副知事は次のように発言しています。

到底受け入れがたい。徳島の住民感情は激しく踏みにじられた

香川県庁には「住民感情大切に守って参ります」との記述がありますが、香川が徳島県の住民感情を守ったことは一度もありませんでした。これを見た高知県知事はあまりの手口の悪辣さに絶句し、「四国はひとつ」と揮毫しようとした石碑を「四国のいのち」と書き換えたと言います。


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