見守ってくれる人は必ずいる

全日本フィールド選手権大会で優勝したり、国体で優勝したり…上手く行くときはトントン拍子なのに、同じ弓・同じ大会でも成績が悪い時は何をやっても上手くいかない。
これをスランプと言って片付けてしまったり、人には波があるから、と変に納得してしまったり。
かつての私もそうでした。

一大スランプがやってきたのは、大学2年生でユニバーシアード大会に日本代表として出場し、帰国した直後から。
初めての世界大会で「どーやっても世界では勝てない」と思ってしまいました。

・自分は何のためにアーチェリーをしているのか
・どうしてこんな下手くそな射型で日本代表になったのか
・世界で勝てない奴が代表なんかになって、と思われてるかもしれない
・なんで今まで誰も「その射ち方では勝てない」と言ってくれなかったのか
・どうして私は恩師のいる高校でアーチェリーをしてしまったのか

こんなことをずっと考えていました。

世界で勝てないなら、日本で勝ってやる。…と思っていましたが、勝つどころか全日本大会にも出られない状態まで落ち込みました。
もう辞めたい、でもこんな中途半端は嫌だ、何よりアーチェリーがしたくて進学したのに学費を払ってくれている親になんて説明しよう、私が辞めたら母校の後輩は二度とスポーツ推薦で進学できない…と思い悩みつつも、心のどこかで「誰かが助けてくれるかも」と思っていて、でも現実に誰も助けてくれず、「どうして誰も助けてくれないの!」という怒りに変化していきました

今思うと、人任せ、人のせい、でした。
何をやっても上手くいかなくなって、この頃は毎日胃が痛くて、冷えが酷くて、寝つきが悪く、寝違えてばかりでした。(今ならこれが鉄欠乏とかタンパク質不足とか分かるんですけど)アーチェリーをしていても楽しくなくて、義務でしかなくて、でも点数は出なくて、少し当たっても「これぐらいで喜んではいけない、喜んだらまた当たらなくなる」と思い込んでいました。

暗闇の中に常にいるような感じがして、夜遅くに帰宅する時、最寄駅から自宅に向かう夜道で「このまま闇に溶け込みたい」と思ったことが何度もありました。

ありがたいことに、心配してくれる人がたくさんいました。でも当時の私はありがたいと思えず、本当の私の気持ちなんて誰にも分からない、と思っていました。

ある日、ある記録会で、相変わらず点数が低かった私。高校生の時から私を知る人に、「そんなに低くないよ」と言われましたが、もちろん私は私を許すことができず、その人に冷たい態度を取ってしまいました。するとその人は諦めずに私に声をかけてくれました。
あのなぁ、君は上手なんやで。だから大丈夫。必ず点数は上がるから。ずっと見てるから。

それを言われた時にハッとして「感謝しなくちゃ!」と思いました。

どれだけの人が私に声をかけてくれたか。不調な私が全日本に出られるように記録会を主催してくれた人もいました。練習後に泣いてしまった私を慰めてくれてバイトに遅刻した先輩もいました。暗い顔をしている私を笑わせようと陽気に振る舞ってくれた後輩もいました。真剣に向き合おうとしてくれた同期もいました。…そんな皆さんの存在を、気付いていたけれど蓋をしていた自分に「もう甘えるのはいい加減にしたら?」ともう一人の自分が言っている感じがしました。

そう、こうやって悩んでいる間に1年の月日が経過していました。もう、アーチェリーをするのはあと1年しかない(大学で辞めるつもりでした)

そこから、アーチェリーへの考え方が変わりました。
変な射型でもいい。残りのアーチェリー人生、悔いのないように過ごしたい。関わってくれた人に感謝して、楽しくアーチェリーを終えよう。

あの時、あの一言で、自分のことを見てくれている人は必ずいること、その事に感謝しなくてはならない、と気付かされたのでした。

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