具合が悪い時、習慣をどう処理するか?

私にはいくつかの習慣化した小さな行動があるが、もともとハードルは低く設定されている。なぜなら、どんな時でもこれらの行動を継続することが目的だからだ。
続けることを、生涯にわたって継続していくー
人生が途切れるその瞬間まで続けられれば、間違いなく何かを成し遂げられているに違いない。だから私の習慣は全て、細切れされた小さな行動だけなのである。

こんなかんなで、ゆっくりとではあるが動き出した推進力は止まっていない。実をいうとここ数日は体調不良で、帰宅後は立っているのもままならない時がある。が、まずは出来そうな行動から処理していく。普段している小さな行動を、さらに小さくしてしまう。よりハードルを下げるのだ。
お手洗いに行き用を足したら、その場で便器に洗剤を数回スプレーして流してしまう。←トイレ掃除が完了。
左手で歯を磨く。いつもより辛ければ、時々右手に交換する。←左手で歯磨きが完了。
歯を磨いたら、その場で洗面台に洗剤を数回スプレーして、コップの水で流してしまう。←洗面台の掃除が完了。
スマホを触ったらnoteへアップする。アップする内容は、偉人の言葉だ。考えない。入力するだけなので5分もかからない。←noteへ記事をアップが完了。
ベッド脇の机に近づいたら、3カ国語で一行日記を書く。(日記を書いた後、もう少し余裕があれば、それぞれ5分程度のシャドーイング)←語学勉強の完了。3カ国語の勉強時間がトータルで20分程度。日記だけなら5分。
※ちなみに寝るためには、ベッド脇の机に近寄る必要がある。そして机の真ん中には、語学勉強のテキストとペンがドーンと置いてある。片付けないと(視界から消したい)、眠れないシステムなのだ。

と、こんな感じで、具合が悪くても日常生活のの延長線に、習慣リストが乗っている。私は生活に必要な行為をする為に、習慣化された小さな行動をしなくてはならない。簡単すぎるので、体調不良でもチョイチョイと処理出来てしまう。そして脳を錯覚させるのだ。『習慣を継続中である』とー。行動の規模は関係ない、事実だけが残ればいい。

続けることが重要なのだから、習慣リストは簡単なほうがいい。そして、それが難しい時でも絶対に出来るレベルの行動も、あらかじめ用意しておいたほうがいい。
こうして継続していける行動は、そのまま自分の力になる。行動力がつくし、何より自信になる。習慣リストを始めてから、とにかく自己肯定感が飛躍的に上がった。まるで別人である。未来への不安などない。行動し続けられている自分なら、「まぁ何とか出来るだろう」という自信があるからだ。この習慣化には、これほどまでに人を変えてしまうパワーがあるのだ。

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