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Doctor Who “the Giggle”のコメンタリーを見てふと思ったこと

もしかして”共に老いることができる幸せ”ということをRTD氏は”It’s a Sin.”を書いている時とかに感じることがったのかなぁとふと思った。正しい対処法や治療法もまだ何もわかっていなかった時代に大勢の命を奪っていったHIV/AIDS。RTD氏の周辺でも大勢の知り合いや顔見知りがあの時に亡くなったと言うから、もしも今生きていたら…と思うことは多々あっただろうなと。

Bi-RegenerationがRTD氏がDWを見ていて常に感じていたことというから”老い”に関する見当は全くあてハズレかもしれないけれども。
ドクターがリジェネする時はドクターの命が尽きようとしている時で、そこまでになるまでに最大もしくは最悪の敵と対面しているはずだから、Bi-Regenerationによって次の自分がその戦いを加勢してくれるというのはどんなに心強いことだろうかって思う。

RTD氏は例として6が2とジェイミーを助けたエピソードのことをよく上げていたけれども、何周年記念スペシャルなどで歴代ドクターが勢揃いするのはもちろんファンとしてはすごく嬉しいのだけれども、そこで次のドクターも加わればなんというかすごくいいんじゃないかなって。
中の人たちにとってもお互い顔を合わせるいい機会だし、新しくその荷を背負うことになるドクターと顔を合わせてコミュニケーション取れるのって気持ち的にすごく心強いし楽しいことなんじゃないかなって。今回シューティさんがテナントさんとWhat’s upとコミュニケーション取れて、しっかりと手を握っていてくれる感じがあって心強かったって話をしていて。

次のドクターが現ドクターにとっての脅威になるのでも終焉の象徴となるのでもなくて、心強い仲間がまた増えたねという喜びになるようなそんな象徴になればいいのにねって。その方が見ている方もすんなりと次のドクターを受け入れられるかなとも思ったり。別れは悲しけれども人生それこそ別れの連続なので。でも別れることができるのは出会えたってことだからこれが祝福されるようなことでそういう受け止め方ができるようなリジェネに今後なっていってもいいんじゃないかなって思った。

テナントさんが10のリジェネシーンを撮影した時、ターディスも燃やしてしまうのでそこで11のシーンを撮る必要もあったからこその現場で鉢合わせとなってしまったのだけれども、あれはテナントさんに気の毒なことをしたなってRTD氏思ってたんじゃないかなっていうのは、11と12はモファ氏、リジェネシーンの撮影で中の人たちを鉢合わせるようにはしなかったって言ってたので、ずーっと引っかかってたのかなぁとふと思っただけなんですが。撮影スケジュールのこととか他にも色々な要素は絡んでくると思うけれども、二人ともライターなので自分がそう書けば可能にできることだしとかとか。チブナル氏も13のリジェネシーンに次を彷彿とさせるようなものは撮影現場には持ち込まなかったし。演者の気持ち作り的にもリジェネシーンを基本的には1番最後にしてもらった方がありがたいんじゃないかしらとか、まぁそのあとで追加撮影で呼び出されることもあるとしてもそれはそれこれはこれということで。

で、だいぶ話がズレましたがRTD氏が”共に老いることのできる幸せ”を思ったんじゃないかっていう話。

確か”The End of Time”のコメンタリーだったか関連インタビューの中で、リジェネ前の言葉とか「あれはラッセルの言葉」って言ってたような記憶があるんですが、もしや10がウィルフレッドを救う前に荒れまくりながら吐露していた心境とかもそうだったのかなって。あれもRTD氏の気持ちだったのかなとか。
ウィルフレッドに対して向けられた言葉というわけでは全然なくて、なんというのかたとえば”Voyage of the Damned”とかで他人に対してシンパシーを持てる人たちはあの最中に皆誰かを救おうとして命を落として、利己的だった嫌なやつだけはサラッと生き延びてっていうシーンがあったのですが、そういう思いをしたというか感じるような場面に遭遇することも多かったんじゃないかなと。
どうにか病に打ち勝って生き延びて欲しいと願っていた人々が願い空しく亡くなっていって、それを当人の非であるかのような無理解な世論を目にしたり耳にしたりする機会も相当多かっただろうしなと思ったりして。

話が逸れてしまいました。で、”共に老いることのできる幸せ”というのは、様々な想いや夢や希望半ばで失われた人々のこと、そして2018年に他界された最愛のパートナー、アンドリュー氏のことをふとした瞬間に「今ここにいてこれを見たらなんて言ったかな?」とか思い出すことも多かったと思うんですよね。特に当時のドラマのことを描いてたりしたら余計に。

大きな戦いを経たドクターたちが完全に消滅してしまうのではなく、なんせ今はマルチバースがドラマや映画の主流(?)なわけでもありますし、”大好きな人たちと一緒に老いていくことのできる”ドクターっていうのがあってもいいんじゃないかなぁって思ったのかなとか。

あとClassic Doctor Whoでは時にドクターを助けてくれる謎のじいちゃんが実はタイムロードで、タイムロードであることを隠してひっそり隠居生活していたって話もまだ全話攻略しきれてはいまい私が知る限りでもちょいちょいあるので、リジェネ回数制限設定が無くなった今、共に老いる選択やこの世界を去る選択をすることのできる種族ってことでいいんじゃないかしらとか。
で、ガリフレイの科学力でその能力を得たタイムロードと違って天然タイムロード的な種族があって、で、ドクターはそうやら連れ去られてガリフレイにきてしまったっぽいけれども、こっちの世界に入り込んでる原タイムロードというかそういう能力というか生態の天然種族がこっちの世界にも結構紛れ込んじゃってるんじゃないのかしらっていうことも思ったり。

でもまぁそれは別の話。

あ、そうそう。
コメンタリーの中でRTD氏がテナントさんとフィルさんとこうやって集まってDoctor Whoを語るのはこれが最後でもう二度と永遠に起こらないからーって言ってたのがちょっと気になって。自分がDWに関わるのがこれが最後っていう意味なんだろうとは思うんですが、never say neverっていうことを思うと、何か体調を崩されているとかそういうことではないよなってちょっと心配になってしまいました。まぁ現実はドラマとは違うのでそんなフラグみたいなのは上がりませんよね。

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