自分
経験は人を石にする。
同じことをしていると、同じような人になっていく。
その縛り、呪縛から抜け出そう。
石化した心のある部分をどうしたら元に戻せるだろうか。
このしこりをどうやったら溶かすことができるだろう。
もう自分勝手なことはやめよう。
得意なこと見つけようよ。
自分はそれでも社会経験が欲しかったんじゃないかな。
自由になる一番の秘訣は、与えられた領域での位置関係に執着するのではなく、与える側になることである。
そのつもりでやっていこう。そこでの関係では受け取ることもまた与えることである。
しかし、頭は何にも考えられない。ちゃんと自分の居場所を見つけることも同時に必要であるようだ。
周りにいるのも、もう記録のない人たちではないのだから。
しかしこのいつからか生じている乖離感は何なのだろう。
どこもかしこも勝手の知れない場所であるというような。
昔は例えば機器の操作と自分が一体に感じていたものだった。
そしてそこでの技能を何らかの形で活かすこともできると感じていた。
しかし、……
この乖離感は誰でも感じているものなのだろうか。
といって気になったことも次の日には忘れているのだ。
他人との持続的な関係を。
事物との密接な交わりを。
いろいろやりたい。今は自分の存在を証明したい思いが強い。
以前はむしろ非証明を求めたものだったが。
あるいは、その証明というものが、結局非証明で求めていた人間関係の中にある承認関係の表現であることに気が付いたのかもしれない。
結局自分が何して生きてきたんだろうと思うと、継ぎ接ぎだらけのロッククライミングみたいなものをイメージする。
果たして、自分は戻ったのか、成長したのか、追いついたのか。
ともかく、頭ではもう何にも考えたくない。
仕事ではそうしよう。それ以外ではもう少し気を緩めよう。それでいいのだ。直観的になっていいのだ。
もっと自由に。何も引け目を感じる必要はない。
自分だって立派な大人である。
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