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麻生氏「おばさん」発言を問題視しない上川外相について

本記事は途中まで書き進めていたものの、そのままにしていて公開が遅くなってしまった。その間に麻生さんは発言を撤回した。

こんなにも頻回に「発言を撤回」して「無かったこと」になるのであれば、おとなの分別が身につかないのは当然だろう。
というか、そもそも分別なんて身につけるつもりないだろう…。
人は痛い目に遭って初めて悔いるものだと思うから。

マスコミも国民もなんだかんだ言って甘々だからなあ。
社会的弱者を叩く人には是非とも体制側の人間を叩いてほしいもんだね。
心の余裕がない大多数の人間は体制側の人間でないだろうから、権力のある人の味方をしても何のメリットもないと思う(毒舌御免)。



私の考えが間違っていたかもしれない。

前述の記事で私はテレビコメンテーター陣を批判し、上川外相の対応を問題視しないようなことを書いたものの、やはりそこで日本のジェンダーギャップにラジカルな変容を起こすだけの対応を上川外相に期待してもよかったのだと思い至った。
麻生氏の問題発言含めこういった不条理(いい言い方をすれば)を受け流すからこそ、自民党の中にあって上川氏は外相含め重要なポストに任じられるのかもと思わせる。

ある程度の影響力や発言力を持つまでは耐え、それが成された暁には、温めてきた信念に基づく言動を実践していくやり方も「賢明」だとは思ったが、そのような思いがあるのであれば私の見解ではもうすでに、上川外相はそのタイミングにあるのではないかと思う。自分がその立場にあるのであればの話だけれども。

上川外相も胸の内では悔しい思いを抱いているかもしれない。それでも、麻生氏始め政治家は人心掌握に長けているであろうから、こっそりと上川外相に「ごめんごめん、貶めるつもりはなかったんだよ~」とにこやかに謝罪して蟠りを解消していることかもしれない。

要職の優秀な女性が、今回のように揶揄されてもそれを甘受した姿を見せれば、それが「当たり前」になり、時代にキャッチアップする一歩の機会を失う。影響力のある立場にあるのであればなおのこと遺憾だ。

これは余談だが、私の知人である東大卒の女性には、日本のジェンダーギャップについて問題意識を持っている人が少ない。私の狭い交友関係のみで判断するのは浅慮ではあるけども、彼女たちから聞く東大内での東大女子学生の扱いは皆一様である。それは上野千鶴子さんの東大入学祝辞*でも言い表されている。この件についてはまた書けば長くなるであろうから別の記事に譲ろう。

本件については、小川彩佳さん、浜田敬子さん、平野敬一郎さん、ラサール石井さんなども同様の発言をしていた。
ちなみに小川彩佳さんは私が好きなキャスターのひとり。お父様は医師だけれども**、お父様もお母様も、芯と教養を兼ね備えた素敵なお嬢さんを育てられたと僭越ながら思う。私の個人的見解だが、多くの家庭(父親が外に勤め出て、母親が主に子育てを担当する従来の家庭;これがいいというわけではなく統計的に)では母親の方が子どもと多くの時間を過ごすのは必然。したがって、子どもの教養は多くが母親に影響されると思う。父親よりも。以前、番組の公式ブログで小川さんが、ご自身のお母様が晩酌をしながら、アメリカ大統領選の行く末(トランプ v.s. ヒラリー)についての見解を述べていて、それが的を射ていたという主旨の内容が掲載されていた。私の家庭でも、ニュースやドキュメンタリーを見ながら家族が各自自由気ままに意見を言い合うというのが常であったので、それがマジョリティではないようだと窺い知ったのはかなり歳を重ねてからのこと。

自身も留学させてもらった立場からすると、日々変化するグローバル・スタンダード***や時代の潮流にキャッチアップし、アップデートに努めることの重要性を改めて深く感じるのでした。



↓ 以下、Footnotes

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

** 医師を始め、「エリート」は知識人としての社会的責務を負うと考える私。E.W.サイードやJ.P.サルトルの、知識人の在り方やengagement《仏》(英語ではコミットメントといったところ)思想に、加藤周一氏や大江健三郎先生たちの著書で肉付けされた、意外と古風な矜持。そんな私にとっては関わってがっかりする医師があまりにも多かった。

*** 欧米がメインストリームをつくるのもどうかと思いつつ、それを念頭に置き、常に「客観視」や相対化しようと努めるのは大事かと。



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