見出し画像

鍋島灯台

鍋島灯台(なべしまとうだい/香川県/航路標識番号:4202/国際航路標識番号:M5533)
初点灯:1872年12月15日(旧暦:明治5年11月15日)
ちょっとややこしいんだけど、日本では1872(明治5)年の旧暦12月3日を、1873(明治6)年の1月1日として、旧暦から新暦に暦を変えたため、旧暦と新暦にはおよそ1か月の違いがあります。
灯質(灯器の光り方):不動赤緑互光/赤光8秒・緑光8秒
初点灯当時の灯質は不動白光だったのですが、1921(大正10)年12月に水銀槽による回転式灯器(レンズ外側の赤緑フィルタを回転させる)になり、灯質が赤緑互光に変更されました。
搭高(地上から搭頂):9.8メートル
灯高(平均海面から灯火):29メートル
Aランク保存灯台(23基)
2022(令和4)年12月12日に国の重要文化財に指定されました。

この撮影ポイントですが草木が繁ってて、現在は、行けないのではないでしょうか?

 今は昔、まだ瀬戸大橋の影も形も無かった時代、中学のクラブ活動で海洋少年団にいました。全国大会優勝経験もある強豪チーム、ボクは万年補欠だったんだけど。
 毎週日曜日のカッター練習の昼休憩で与島には何度か上がったことがあります、昼食の弁当を食べている港から見えていた鍋島の白灯台が「日本灯台の父」リチャード・ヘンリー・ブラントン設計・指導で建設された灯台だなんて、その時はまだ知る由もなかった。
まっ、それはともかくも、あれから長い年月が流れ、今は、瀬戸大橋の与島パーキングエリアから徒歩で鍋島灯台に行けるようになりました。
 灯台が江戸条約で建設された明治の初期、東西に450キロもある瀬戸内海には5基(江埼灯台、部埼灯台、和田岬灯台、釣島灯台、鍋島灯台)しか灯台がありませんでした。地形が複雑で潮流も速く、ダークシーの異名をとる瀬戸内海を、この5基の灯りだけで夜間航行することは非常に危険でした。
 「鍋島灯台は、夜明けを待って航行するための停止信号として利用されていた」という記述が当時の当直日誌に。同じように、釣島灯台(愛媛県)も停止信号として使用されていたという記述が(当時の当直日誌に)残されているそうです。
参考資料:拙著「ニッポン灯台紀行」

まだ瀬戸大橋が架かる前の鍋島灯台です
レンズ外側の赤緑フィルタを回転させて赤緑互光を作り出しています


鍋島灯台
この撮影ポイント、今も撮れるのかなあー?


数年前に、テレ東系列の《テレビせとうち》で毎週「せとうち灯台紀行」という灯台コンテンツ(全24回)をやらせていただいてました。…今でも時たま再放送されてるみたいなのですが、ワタシのトコロには全く連絡がないので…まっ、それはともかくも、その放映時の「鍋島灯台」篇をお届け、下のアイコンをクリックしてみてください。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?