緑川瞳

公立中学校の教員38年(現役)子育てをしながら仕事をしてきたことはそのまま、自分の中で…

緑川瞳

公立中学校の教員38年(現役)子育てをしながら仕事をしてきたことはそのまま、自分の中で大きな財産です。自分のやってきたこと、感じていること、考えたことが、全ての子どもたちとお母さん、お父さんたちが笑顔になるよう、お役に立てたら嬉しいです。 趣味 生卵立て/旅行/

最近の記事

伝えたい想い 

3月は20日は地下鉄サリン事件が起こって29年目だとか。 1995年3月20日、朝方だったか大変な事件が起こったというニュースが脳裏をよぎる。 でも、当時の私はその事件の悲惨さよりも、事件を避けたという方の手記が鮮やかに蘇ってくる。 事件後・・・確か、婦人公論だったと思う。 その記事の内容は次のようなものだった。 その方は、いつもの時間のいつもの車両に乗っていた。 いつも 同じ人が同じ駅から乗ってくる 周囲を見渡してもいつもと同じ顔触れの人。 ところがその日は違った。

    • 親は知らなくても、子は育つ

      「1円玉を100個数えて、ポケモンの指人形を買うのが楽しかったんだよね」 ・・・・???? えっ? 何のこと? 私は成人した娘が何のことを言っているのか、全くわからなかった。 聞いてみると、 近くのコンビニエンスストアに行き、100円の指人形を買うのが楽しみだったらしい。 その100円をどうしたかというと、ブタの1円貯金箱から100枚数えて、それを店に持っていったようだ。 コンビニのおばちゃんとは顔なじみになり、1円玉を100枚数えるのは大変だったらしく、10枚ずつの束にし

      • 2歳半のわが子から学んだこと

        我が子は10カ月から保育園に通っていました。私達夫婦が共働きだったこと、お世話する人もいなかったこと、そして、一人っ子だったのでお友達のなかで社会生活を学んでほしいということから、娘は保育園育ちでした。 2歳になったころ、保育園でお遊戯会があるとのことで、私は仕事を休み保育園の参観に行きました。大きな子も、小さな子も可愛らしく学んだお遊戯をしていました。お遊戯は「オシャレネコ」というもの。 「さあ、ウサギさん組のオシャレネコです。」 先生の声と共にウサギ組の子どもたちがステ

        • 一人一人を大切に・・・窓ぎわのトットちゃん

          最初から涙、涙でした。 実際にあったお話・・・それは戦前の黒柳徹子さんことトットちゃんのお話 自由が丘に住んでいた、赤いお屋根の大きなおうちのトットちゃん。 とっても裕福だったんだなあと感じました。 トットちゃんは、いわゆる普通の学校では型にはまらないとっても純粋なタイプの女の子。 興味のあることには、周りが見えなくなって集中してしまう。 そんな、トットちゃんは、電車が教室のトモエ学園に転向することに。 校長先生である小林先生は「なんでもいいよ。ぜ~んぶ話してごらん」と ト

        伝えたい想い 

          ちゃーちゃん大好きはずっと変わらない

          29年前初めての子どもを出産しました。 子どもが生まれるとあって、当然のように産休、1年間の育休を取得しました。昔は、この期間は保険のみ支払われていて、手取り給料はありませんでした。でも公務員とあって育休は取得しやすい環境にあったと思います。 育児休暇を取ったことで、まず、私がやったことは ①車の免許取得 でした。 子どもが突然の熱やけがで病院に行くときに、交通手段が必要だと思ったからです。2か月の子どもを背中に自転車で通いましたが、子どもの面倒を見てくれる教習所には心から

          ちゃーちゃん大好きはずっと変わらない