偉いのはだれか?

偉いのはだれか?
明治維新以降、富国強兵・近代国家建設に邁進していた「日本(やまと)」に、「末は博士か大臣か」という子どもを励ます言葉があった。「博士」という目標は、現代に生きているだろうか? 「博士」になっても就職口がないという現状は、この言葉が死語になったのだろう。わずかに、日本人がノーベル賞を取ると大騒ぎになる現象が生きているぐらいだ。一方、「大臣」という目標は、尊敬の頂点として生きているのだろうか? 金と権力に最も近い目標として生きていることは事実だが、誰も大して尊敬していないのではないか?利権に群がりたい習性の人間と組織が、尊重している程度だろう。
近代工業国家としての覇権をよしとする「日本人」は、科学と技術の区別もついていない。内閣府総合科学技術会議とか科学技術庁とか、科学と技術の区別もつかない名称で、この概念を振りかざしている。これらは、軍事力増強と巨大工業技術産業の発展こそ「国力」の源泉だという、イデオロギーの推進を国家戦略だと信じている一派の思想である。
科学も技術も、軍事も産業も学術も、じゅっぱひとからげに巨大プロジェクト化し、巨額国税を注ぎ込むことが、何か進歩の源泉であるかの如く信じ込み、信じ込ませる政官産学複合体が形成されている。地震津波災害や原子力発電所人災事故なども、これら複合体にとっては、最大のビジネスチャンスである。
「博士」であろうとなかろうと忠実な技術者が必要だ、巨大プロジェクトをまとめる政治屋と官僚群が必要だと、この複合体は考えている。


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