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出し忘れた兜に見つけた、生き残りの「べきお化け」

GWの旅行中にこいのぼりを見て、兜を出し忘れていたことに気付きました。家族に「今年かぶと出すの忘れてた」と言うと、子どもも夫も「そう? まぁいいんじゃない」とぬる~い反応。

地味に季節の飾り物ラッシュがつらかった

わが家には娘と息子がいるので、例年12月のクリスマスアイテムに始まり、3月にひな人形、5月に兜と、季節アイテムの出し入れオンパレード。ここ数年はこれに加えて、11月のハロウィンの衣装も用意しています。

それでもハロウィンとクリスマスはイベント感が強いようで、子どもたちが楽しみにしていたので自分的にもOKですが、ひな人形と兜は子どもたちの反応が地味。何よりひな人形や兜がでている間は「ボール投げないで」「触らないでね」など気を遣うのがちょっとストレスでした。

兜をうっかり出し忘れたことで、これまで私が律義にひな人形と兜を毎年出し続けてきたことを振り返って気付いたのが「親としてそのくらいすべきな気がするから」という「べき思考」。

すみっこにいる「べきお化け」ほど見えにくい

「○○すべきだ」という思い込みや常識に縛られることを「べき思考」「べきお化け」といいますが、私も仕事と子育ての両立の中、なるべく身軽になりたいと「母親がやるべきだ」「食事は手作りにすべきだ」などたくさんの「べきお化け」を退治してきました。なのにこんなすみっこにまだいるんですね、「べきお化け」。いや、むしろ隅々だからこそ、見えにくかったのかもしれません。

毎日のことだと同じ価値感のスケールで判断できるので「これってべきお化けだな」と気づきやすいし、「どうやってこのべきお化けを倒そうか」と作戦も立てやすいもの。でもこれが年1のイベントだと自分や家族にとってのそのイベントの立ち位置、つまり「わが家的価値」が精査しにくい。「ちょっと面倒でも特別なことだから」という思考がお化けを気づきにくくしていたのかなと思いました。

結婚式とかマイホーム建築で、「せっかくだから」と後から考えたらいらないオプションをつけてしまうことがありますが、あれにちょっと似ているかもしれません。ひな人形や兜は「いらないオプション」とまでは言わないけど、でも忙しい日常生活の中では隔月での出し入れはなかなかの重いオプションです。

これからは隔年でいこう

必死になってひな人形や兜を出して「ボール投げないで」「ぶつかったら嫌だから走らないで」なんてイライラ、ハラハラしているくらいなら、毎年必死に3月、5月と出し入れしなくていいんじゃないか。実際子どもたちは兜が飾られなくて悲しむどころか、兜が出ていないこと自体に気付いていなかったのだから。

これからわが家のひな人形と兜は、隔年交代でいこう――と決意した今年のこどもの日でした。

お読みいただきありがとうございました。

うめ




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