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より価値ある時空に…



例えば…
今…
普通に手足が動くのは当たり前…
目が見えるのは当たり前…
生きが出来るのは当たり前…
毎日、食事が出来るのは当たり前…
此処に自分が生きているのは当たり前…
と、我々は改まって自分に問う事でも無く、それが当たり前と思っている。
故に、何にも感じて来ない。
だから、楽しい何かを求めて
外の世界へ目を向ける。
処が…
作者自身の或る事を境に
其れが普通に思えなく成ってしまう。

と言うのは、作者は或る病気を患う。
目は殆ど見えなく、声もろれつが回らなく出なくなる。
何しろ、眼科検査、視力測定
で(c)の文字の一番上の大きな字が見え無い。
手足が動かない…どころでは無く、全身の力が無くなり鉛のような重い身体になり、ベッドに吸い付けられた如し、
完全に寝たきり状態に陥ってゆく。
口から食べ物は無論、水の一滴すら飲めないのが一年半も続いた。
此れには本当に絶望した。
その間、鼻から胃にチューブで流動食。
味も素っ気も全く無い。


寝返りすら出来ない。
排便、排尿すら自力で出来ず
ナースのお世話をお借りしなければ成らなかった。
即ち、年中、オムツです。
唯一、動いたのは首が少し前後に動くのとまばたきだけ…
毎日毎日、病気のベッドの上から天井を無意味に呆然と眺めている…

その後、何と入院生活十年近くにも及んだ。

極めて稀な貴重な体験をさせて頂いた。
人間とは、概して※常を思う。
裏を返せば、
変化を特に嫌う生き物。
また、然う強い願望を抱く。
こう言う意を根底に宿している為に、様々な現象を当たり前の如し見てしまう。

本来、身に起こる現象…
此れは当たり前では無く、極めて有り難い事だと思います。
有り難いとは、
有るのが難しいと言う本来の意味。

人間とは、物事、当たり前と心の何処かで考えている節が有るから、こころが満たされない。
故に、
欲がやたら出て五感が貪り始めて来るのだろう。
又、貪りの度が過ぎれば、不満の念がわき起こる。
何故なら、貪りとは切りが無いから満足は長続きしない。
故に、事の有り難さを味わう事が出来ない。
因果の法則、道理です。

アングルを替えると、
物事、有り難い…素直に受け止める事が出来ると、
眼の前が明るく見えて来る。
すると、自然とあつい感謝の念がわき起こる。
素直に然う思えるから、天から自分自身は間違いなく活かされている。
因って、今ここに生きていられる。
この気づきが与えられた時空をより価値を高める事が出来る様に思う。

…………豊かな収穫あり……………







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