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手をつないだ記憶③『亡き父――今も未来も支えてくれる手』

父は無口だが人懐こかった。黙ってそこに居るだけで子どもや犬が寄ってくる、そんな人だった。

亡くなる前の1年間は入院していて、遠方に住む私は、1カ月半に一度帰省し父を見舞った。

久しぶりの面会は緊張する。――どれだけ病状が進んだだろう。痛々しい姿になっていないだろうか。私のことがわからなくなっていたらどうしよう――不安で病院へ向かう足取りが重くなる。

何度目かに見舞ったとき、父は車いすに座り談話室にいた。私を見つけると「やあ」という風に手を挙げた。それを見てホッとした私は、同じように手を出して近づいた。すると、なんとなくの流れで握手になった。普通の握手ではなく、腕相撲の組み手のような、互いに親指をロックする形だ。

アメリカ人はよく、片手でこの握手、片手でハグの「パウンドハグ」をする。この握手は相手との距離が近くなるのだ。

私と間近に親指ロックの握手をした父は、いかにもうれしそうにニギニギと握った。まるで「僕のお気に入り」とでもいうように。元気な頃の父がもどってきたみたいで、すごく嬉しかった。

最期まで娘と認識してくれたから、認知症でも寝たきりでも、父は私に生きる意味を与えてくれた。私の顔を見てこんなに喜ぶ人がいる。それだけで、自分の存在価値を感じることができた。

だが、思春期から20代後半まで、私は父をあからさまに毛嫌いしていた。父に致命的な欠点があったわけではない。今思えば、家庭で見せるゆる~い姿に幻滅していただけだ。若い娘にとっての男性の理想像とはかけ離れていたから。

そんなギスギスした関係のころ、家族でテレビを見ていたときのことだ。番組の内容に関連し、母が父に「娘ってそんなにかわいいもの?」と聞いたことがある。

すると、いつも会話にろくろく参加せず、ムニャムニャしか話さない父が、食い気味に「うん!」と断言した。家族みんなが驚いた。

――その全力肯定は何?! こんなに反抗的な娘がかわいいなんて頭おかしいんじゃないの?
そう思いながらも、どうしてか私は心の中でニヤニヤした。

その後、バブル景気で不倫が流行った時期があった。何気なく、もし父が浮気をしていたら?と想像したことがある。父に隠し子がおり、それが私と同い年くらいの女の子で、父がそっちを溺愛している……

そこまで妄想が突っ走ったところで、私は猛然と嫉妬した。
――彼氏が浮気するより許せない!
父の一番は私でなければいけない、と傲慢に思った。いつもツンケンした態度をとっているくせに、と自分で自分に突っ込んだ。

結局、大人になり切れていない私には、どんなにダメな私でも受け入れてくれる存在が必要だったのだ。どこまで行っても自己中だ。自覚したのは結婚して家を出てからだが、父に無条件に愛されているという確信は、いつも私を支えてくれた。

父が亡くなって、私のアイデンティティは欠けてしまった。「父の娘」という盤石な部分を失い、2年余りグラグラだった。昔あれだけ嫌っていたのに、会いたい、会いたい、と思った。そうしたら夢に現れた。

父は現役時代の姿で、同僚に囲まれ、真冬の現場でよく着た防寒着を着ていた。ゴワゴワしたカーキのジャケットで、襟がオレンジのボアだ。見た途端、ああ、こんなのがあったな、と思い出してびっくりした。そんなものがあったことさえ忘れていたのに。

これは本当に私の脳内の夢なのか? 「もしかして本物?」と思った私は、ニコニコしている父の手を取った。触れた手は、病院で握手したときのように温かく、ずっしりと質感がある本物だった。

それから折に触れ、亡き父が私の「今」に関わっていると思える不思議な出来事を経験した。私の人生がうまく回るよう、どこかで采配を振るっているらしい。困ったときも父頼みすると、毎回ちゃんと助けてくれる。長いことかけて喪失感から立ち直れたのは、今も父は私をかわいがってくれている、と実感できたからかもしれない。

落ち込んだときは、あのニギニギを思い出す。
ーー大丈夫、私はあの人のお気に入りなんだから。
(情けないことながら、私は今も父に承認されたいらしい)父の娘であるという強固な基礎は、父亡き後も変わらず私を支え続けてくれている。

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