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「朗読とヴィオラダガンバで届ける愛の詩」に寄せて⑯

「朗読とヴィオラダガンバで届ける愛の詩」に寄せて⑯

今回の演奏プログラム内で
マラン・マレの『ヴィオル曲集第2巻』より
組曲ニ長調から「人間の声」を演奏します。

昨年に始まった
「フランスいにしえの吐息」企画内でも
この作品を取り上げ、解説を書きました。

そちらから引用して、代えさせて下さい。

🌸🌸🌸

マレの「ヴィオール曲集第1巻」は
1686年に出版されましたが
その翌年に発表された
J・ルソーの「ヴィオール概論」では
幾度となく、ヴィオラダガンバが
人間の声に一番近い楽器だと
強調されています。

その一つとして、彼は
ヴィオラダガンバの歴史を説明するのに
旧約聖書の創世記を持ってきています。

その内容を要約していくと

①神が最初の人間を作った。

②蛇にそそのかされて
楽園を出ることになった。

③それは、神の御業を行えると傲ってしまったからなのだが
その夢を諦めることはできなかった。

④しかし、神のような創造はできないので
神が作ったものを模倣しようとした。

⑤人の声に模倣して楽器を作り、
一番人声近いものが
ヴィオラダガンバなのです。

こういうヴィオラダガンバの歴史認識は
逆に斬新で、新感覚ですね。

とはいえ、
なぜ楽器で人間の声を模倣したのか
当時の感覚を直線的に表す
貴重な証言だと思います。

♬♬♬

長い間、ヨーロッパの音楽で
人間の声は特別な存在でした。

特に宗教的典礼演奏の場において
人間の声は、他には担えない
特別な役目を任されました。

それには、
「祈りの言葉を発する」という利便性以前に
「神が作った人声」と
「人が作った楽器」という
歴然とした違いがあったからなのです。

それを踏まえた上で
ユベール・ル・ブランによる
サントコロンブを絶賛する

  若い女性のため息から
  老人の叫び声まで
  人間の声が持つ
  あらゆるニュアンスを
  模倣することができた

という記述も
少し違った見え方が
できるような気がします。

♬♬♬

現代においては
特別な研鑽を積んだ声楽家でなければ
普通に、人の声の大きさは
楽器の音よりずっと小さいものです。

「人間の声」といえば
ヴィオラダガンバという古楽器の素朴さかと
勘違いされることもあるかも知れません。

しかし、当時の人々が持っていた
感覚になぞらえると
「人間の声」という表題は
「ヴィオラダガンバ、すげぇだろ!」という
マレの強烈なマウントにも思える
挑戦的な表現の試みだったのです。

🌸🌸🌸

演奏会のご案内
〈朗読とヴィオラ・ダ・ガンバで届ける愛の詩〉

『かのひと 超訳世界恋愛詩集』菅原敏
マラン・マレ 「人間の声」「アラベスク」他

2024/3/16(土)
淡路町カフェカプッチェットロッソ
11:30〜、14:30〜
3500円 ドリンク&お菓子つき
完全予約制

お申込み
ventvert0403@gmail.com

#朗読とヴィオラダガンバで届ける愛の詩

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