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ポルトガルへの渡航禁止勧告

 その年の10月1日付ポルトガル着任予定で準備を進めていた私は、出張先のホテルの朝食会場でTVに映し出される光景を見て我が目を疑った。それは飛行機が高層ビルへ立て続けに突っ込むあのシーンだった。そう、2001年9月11日の翌朝12日(日本時間)だったのである。
 世界が騒然としたこの出来事は赴任スケジュールへ影響を与え、会社からは海外渡航を当面見合わせる様通達されてしまった。しかし、現地での着任後の予定は変更が難しいものもあり、現地側と共同で交渉の結果約2週間遅れでの渡航が決まった。とはいえ、自身も不安がない訳ではなく、出発前夜は少々思うところもあり、家族の顔をじっくり眺めながらの晩餐であった。
 当日はかなり早めに成田に着いたが、想像以上に利用者が多く、搭乗手続きや荷物の検査はいつもにも増して厳重で時間がかかった。その後、目についた旅行保険発券機で初めて契約、人間ってこんな時には何かにすがりたくなるのかな、でも何かあっても保険金の行き先は奥さんだし・・・なんて考えながら搭乗後はハイピッチでアルコール摂取に努めたが余り眠れず、機内の雰囲気も何となく周囲を気にする様子で白けた時間が流れていた。
 12時間のフライト後、フランクフルト空港へ着陸してドンと衝撃を感じた時にはさすがにほっとした。空港内にはマシンガンを手にしたガードが多数巡回していて緊張感は日本の比ではなく、トランジット待ちのラウンジにも立ち入り鋭い眼光で周囲を見回す事の繰り返し。
 再度、機上の人となりリスボン空港へ向かうが、今度は眠いこともあり緊張感は余り感じず、現地駐在員にピックアップされてホテルへ到着。いつもの出張時はその時点で日本時間の朝4時頃なので、そのままベッドへ直行なのだが、その日は出迎えの全員を部屋へ引き込んで日本土産を肴に大宴会となった。やはり自分の認識以上にストレスフルな一日だったのであろう。
 20年以上前の出来事を懐かしく思い出しました。


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