「傲慢と善良」
心底自分の母親が、自らの不安にぎゅっと蓋をして私たちを信じ、決断するのを待てる親で良かったと思う。
すごく、刺さった。帯にそんなことは書いてあったが懐疑的な私は「はいはい〜」と読み流しつつどこか期待していた。まんまと帯どおりになったのは少し悔しい。
読んでいて、真美に対しているよなーこういう子、と私自身も「私とは違うタイプ」「苦手なタイプ」だと思っていた。
しかし読み進めるうちに自分自身にも心当たりがあるような善良からくる傲慢さが見えてきた。
自分自身の事の決定権を自分以外の他人に握られて生きてきてしまうことは、
その人という輪郭を限りなく曖昧にさせ、自分の意思が分からない、どこからが自分なのかわからない現状に陥らせてしまう。
真実の両親は今で言う毒親だろう。不安や心配に耐えきれず、子どもの意思を奪い自分の視野・常識の中にはめ込もうとする。
自立や成長を願っているつもりが、相反していつまでも自分の存在なくして生きていけないだろう、という親自身の居場所のために、子どもを信用に足る存在にできず自分の家族・家のなかの「子ども」として縛り続ける。彼らもまた自分自身と、世間(=社会)、そして子どもとの境界が曖昧な輪郭を見出せていないのである。
しかし、輪郭を見出せてるというのは何を指標にするのか、自分の意思と社会との境界はどこからなのかと朝井さんが問う。
わからないものを起点に逆算してしまうから、今自分の生きる社会を指標にするのか。
もう、正直読み進めるうちにどの登場人物にも当てはまる部分があって痛くて痛くて仕方なかった。
しかし最後の方のあるおばあさんの言葉で真美は救われる。
私自身も救われた。
人は人とかかわるなかで生きていくからこそお互い様というか、もう誰もがみんな少しおかしい。
それを踏まえた上で自分自身と向き合うこと、見つめ続けること、社会との境界すなわち自分の輪郭を試行錯誤しながら形成していくよう努めていきたいと思う。そしてもし自分自身の子どもを持つとなった時は、自分の輪郭を自身の力で構築していけるように不安で心配だけれど本人に任せることを見守り続けようと心に誓った。
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