スーパーカブで北海道ツーリング2日目 旅行中止



私が甘かった。どうしてこんなことになってしまったのか。ひとえに今回の事故はわたしの甘えが原因である。

8月17日の木曜日、9時頃に岡山の快活CLUBを出発した私はそのまま市街地を抜け、岡山ブルーラインを走っていた。

朝から雨が降っていた。憂鬱な気分だが、土砂降りの豪雨というわけではない。カッパを着込んでレインブーツを履いて走っていた。
慣れない岡山の道路は迷うこともあったが、ゆっくりと曲がれば荷物満載のカブでも問題なく曲がれる。そのうちに、私は慢心してしまっていた。スーパーカブとともに走った距離は7000キロを超える。もはやズブの素人では無いのだ。そんな傲慢な思いがたしかに、私の中に存在していた。

岡山ブルーラインは大型トラックの追い越しにやや苦労したものの、雨の中特に危なげなくやり過ごしながら終点に近づいていた。片上大橋を超え、郡山ICの辺りで、そのまま進んだことで以前原付が通れない山陽道に迷い込んでしまった経験から「海沿いの道に逸れよう」と考えた私は軽率に山の中の道を走ることにした。それが間違いの始まりだった。

その道は、やや小高いところを走るブルーラインから山の中をつづら折りに海に向かって下っていく山道だった。狭いアスファルトの路面は濡れ、小枝や腐った落ち葉が散らばる最悪の路面状況だったが、私は以前似たような状況の道を走ったことがあったので「いける」と判断した。してしまった。

長い下り坂なことがわかっていたため、念の為、ギアを4速から3速に落として30キロを超えないように(わたし的にはゆっくりと)下っていった。

全体の6割ほど進んだところで、事故は起こった。

3キロもないような、本当に短い山道だ。

画像の地点で、私は進行方向に向かって右側(岡山側)に逸れ道を見つけた。Googleマップにも記載されないような、けもの道のような道だった。そこは左に曲がる急なヘアピンカーブで、十分に減速したつもりだった。ガッツリよそ見したわけではなく、頭を動かさず視線だけで。それでも右に意識が逸れた。ほんの僅かな油断だ。「右に道っぽいのがあるな」と。

そう思った直後、カブが曲がりきれずにバランスを崩した。左の谷へ落ちそうになったところを、慌ててハンドルを切って立て直そうとしたが既に遅く、急ハンドルによって車体は制御を失い右側に横転した。

何が起こったか分からないまま、息ができなかった。数秒だったか、数分だったか。倒れたまま息を整えていた。右膝に鈍痛を覚えるが、激しく痛むわけではない。カブを見ると、前カゴがひしゃげてカゴの中身をぶちまけ、横転してそのままエンジン音を立てていた。ガソリン臭い匂いがした。




以下事故画像です。流血などは写っていませんが苦手な方は避けてください。



曲がる時に画像左側の逸れ道に気を取られてしまった。



今までにも立ちゴケをやらかして倒れたことはあったが、いずれも大したことがなかったため、その経験からあまりスピードは出ていなかった今回も大したことないだろうとその時は楽観していたが、その認識は間違っていた。よもやすると、この時点で救急車を呼ぶべきだったかもしれない。

雨の下り坂、それもヘアピンカーブということで十分に減速はしていた。20キロも出ていなかったかもしれない。それでも、車体は制御を失った。

いちばん大きな要因は、前カゴに載せていた米だろう。2キロの米を乗せていた。北海道ではこれで自炊するつもりだった。バイクや自転車で前に荷物を載せたことがある人は覚えがあると思うが、2輪の乗り物は前の荷物が重くなると、車体のバランスが崩れてハンドリングがかなりしづらくなる。

ひしゃげたカゴ、異音がして回らなくなってしまった後輪に泣きたい気持ちになったが、それでも立たなければならない。幸い、心臓部とも言えるエンジンや電装系はまだ生きている。私は痛む膝をかばいながらカブを立たせ、荷物を載せ直し、坂を下った。

数百メートルほど進んだ下り坂で、ついにカブのチェーンが絡まってタイヤが動かなくなった。こうなる前にバイク屋さんを呼んでおけば、チェーンは壊れなかったかもしれない。膝の痛みはどんどん増していく。
仕方が無いので根性で重たいカブを道路脇に寄せ、バイク屋に電話をした。1件目は断られたが、2件目は受けてくれるそうだった。知名度の低い山道で事故地点を電話で上手く伝えることが難しかったので、トラックで近くの日生駅の前まで迎えに来てもらうことになった。


その辺の側溝から木の枝を拾い、支えにして1人で山道を降りていく。程なく市街地に出た。海沿いの静かな街で、いかにも私好みの漁師町だった。こんな時でさえなければ、と思った。

通行人に不思議なものを見るような目で見られながら、木の枝の支えだけで1キロほど歩いた。そして、駅近くの茂みに枝を置いて雨が振り込まない軒下で座り込み、バイク屋さんの到着を待った。

電話してから40分ほどでバイク屋さんと合流した。事故地点までトラックを動かし、カブの絡まったチェーンを分解して「押せば前後に動かすことができる」状態にしてトラックに乗せてもらった。
店長のご厚意で、私もトラックに乗せてもらってバイク屋や病院がある赤穂市街に連れていってもらった(本来こういったサービスは行っていない)

店に着いてから、バイクは何とかなりそうだということで1人で動けない私は病院に連れていってもらうことになった。その時には痛みが激しくなり、膝を曲げようとすると激痛が走るほどになっていた。

そこのおかみさんが、私を病院まで送って下さり、診察の手引きまでしてくださった。本当に頭が上がらない思いだ。今日初めて会った見ず知らずの他人に、ここまで優しくしてもらったのは初めてだ。いずれお礼を必ずするつもりでいる。

間の悪いことに木曜日だったため、整形外科には代役てある研修医の方しかいなかった。しかし、とても丁寧に診察してもらったため、心が少し落ち着いた。

松葉杖を借り、杖で歩くトレーニングを少ししてからバイク屋に戻った頃には夕方の5時半を回っていた。最後まで付き合ってくださったおかみさんには本当に感謝している。疲労困憊で、動けない状態だったため、バイク屋にバイクと寝袋などの不要な荷物を預け、充電機器などだけを持って近くの東横インまでタクシーで移動した。

そして、仮眠を取ってからこの文を書いている。

以下、行けなかったことに対する後悔を記した。悔やんでも悔やみきれない思いだ。


たくさんの人に、迷惑をかけた。本当に申し訳ない。


明日乗るはずだった小樽行きのフェリーはもちろんキャンセルだ。今はベッドで寝そべっているが、近くの机に置いてあるものを取る為の移動すら難しく、ズボンも履けずお風呂も入れないありさまだ。自分が情けない。

何のために3月からコツコツとお金を貯めてきたのか。キャンプ用品を買い揃え、前カゴを取り付け、インナーを買ったのか。
私が通っているのは理系の大学で、今2年生なので、来年からは研究室に配属されて忙しくなる。恐らく、こんな長期間に渡って旅ができるのは最初にして最後だった。

私は今年の夏を、3月に思い立ってからの全てを今回の北海道ツーリングに捧げ、ずっと憧れだった最北端を目指していた。飽き性の自分が、こんなにひとつの事に向かって頑張ったのは初めての経験だった。
ヘルメットが被りやすいように髪の毛だって切ったのに…バイクのオイル交換だってしてもらった。馴染みのバイク屋のおっちゃんは笑っていた。
「楽しんでこいよ」と。

スーパーカブで北海道に行く!と言うと、バイト先の人たちは驚き、「気をつけてね、学生の頃しかできないことだし、応援しているよ」と言ってくれた。普段ミスばかりして迷惑をかけている私だからこそ、人手の足りないお盆の期間は毎日出勤し、地獄のようなシフトをこなした。終わる頃には、お盆組の間で修羅場を乗り越えたことに対する奇妙な連帯感が生まれていた。
微妙な仲だったパートのおばちゃんとも、終業時にはハイタッチでお別れの挨拶をするまでに仲良くなれたのだ。応援、してくれていた。

1番こたえたのはフェリーの予約をキャンセルすることだ。授業中もずっと、憧れの「乗船!」や「上陸!」をGoProで撮影することを考えていた。上陸する時には晴れなのか曇りなのか雨なのか、デッキは滑るのか、固定用のボルトにつまづいてバイクをこかしたりしないか…期待と不安が入り交じった妄想を、3月からずっとしていた。

北海道は、多くの人にとって試される大地だという。行く人々に試練を与え、乗り越えた者には感動を授けてくれる。そういう大地だと、聞いていた。私はその、試練の場にすら「立たせて貰えなかった」のだ。試練を受ける資格無しと、弾かれた。ひとえに自分の甘さが原因だ。それがただ悔しい。

最北端に行けば、わたしの願いが、夢が叶うと思っていた。バイク乗りたちはなぜ最北端に集うのか。それが知りたかった。きっとそこには、それまでの旅路と、もっとすごい景色を見たいという憧れが混ざった万感の思いがあるに違いない。そう、思っていた。

今はただ、休んでいる。停滞ではない、完全に後退している。やり直しはできず、ただ失っただけだ。もう何も考えたくない。この思いすらも時間が癒してくれるのだろうか。




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