ずとづ

戦後、なぜかは知らないけど、日本語をやたら制度化、単純化しようとする動きがあったらしく、基本、同じ発音であるところの「ず」と「づ」は『「ず」に統一』ということになったらしい。

ここで1つ大きな疑問があるのだが、「ず」と「づ」は本当に同じ「音」なのだろうか?

私は明確に違うと思う。ただ、戦後生まれの私は、もうその違いが分からない。

そこで次の疑問。それ(わからなくなったの)は、「ず」と「づ」を統一したからではないのか?要するに、統一しなければ、今でも明確にその違いを我々は発音として遣いわけられていただろうし、聞き取れてもいただろう。

似てるからというそんなしょうもない理由一つで、言語を消滅させようとする。誰がやったんだ?タリバンの遺跡破壊と同じなんじゃないのか?

言い訳程度に「づ」は残ってはいるが、その使用場面も複雑で分かりづらい。この「分かりづらい」の「づ」は合ってるはず。「はず」の「ず」も。

驚きなのは、人間が作ったものって、言葉がなくなればなくなるんだということ。

山は「山」という言葉がなくなったってそこにあり続けると思うんです。
だから「初めに言葉ありき」というのはどうもうさんくさい。

逆に言葉ができて、みんなの意識にはっきりと根差すものもある。例えば「肩凝り」とかね。夏目漱石が書くまで日本人に肩凝りの人はいなかった。

ま、極論だけど、一理ありますよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?