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鳥。

朝、歩いていると木々の枝をちょんちょんと歩くものがいる。
野鳥だ。
鳥はいいな。歩けるし、空も飛べるし…

この時期になると思い出す。

私は中学三年生になっても、気持ちが受験モードに切り替えられず、周りの友だちが志望校を目指して切磋琢磨している姿をみては、『何やってるんだか』と冷めた嫌な子だった。
夏、三者面談があり、ノートはとってもきれいにとってあるんですが、点数がね…と担任が母に告げ、ハハハと母は愛想笑いをした。帰宅後、母のため息は忘れない。
同居していた大好きだった祖母が亡くなり、ますます気持ちが受験に向かなくなった。
母方の祖父が読んでいた古い100円の文庫本(川端康成や太宰治)が心の支えだった。

秋になると、授業中は校庭の隅にそびえ立つ、夜間照明ばかりみていた。
そこにはたはたと鳥がやってきて、さっととまる。きまって一羽だった。
その姿がかっこよくて、羨ましかった。
どこにだっていくことができて、高いところから俯瞰して世界がみられる鳥。

視線を教室に戻すと、先生は静かに授業を進め、友だちは机にかじりついてノートをとっている。中には隠れて過去問を解いている子もいた。

中三になってから、高校入試に作文があるからか、国語科の問題の最後に『作文』の設問があった。
教科の先生好みだったのか、そこはいつも満点で、みんなの前で読まれることもあった。
多分、先生は『しっかりしろよ』という気持ちも含め、満点にしてくれていたんだろうけれど。

行きたい高校もないし、学力によって高校が分かれて友だちとも離れてしまう。
なんでずっといっしょにいられないんだろう。
おばあちゃんともなんでずっといっしょにいられないんだろう。
ただの駄々っ子だった。

私が憧れていた人は『お互いがんばろう!』と眩しかった。

秋の終わり、あの鳥は姿を現さなくなった。

私だけじゃん。

友だちが行かない高校へ行こう。
私を誰も知らないところへ行こう。

電車運賃がものすごく高いと有名な路線沿いにある高校に決めた。

冬、憧れの人とではなく、保育園から幼なじみの男女と初日の出をみた。
ものすごくきれいだった。
近くの地域の神社でお詣りして『しぼーこー合格できますように!』とお願いした。

寒かったけれど、なんとなく初めて『受験生』になれた。

父が好きなZARDの『負けないで』に送り出され、受験し、合格した。

高校行きの最寄駅が自宅から自転車で40分と知るのはあとの話。

行くつもりなら自由にどこへだっていける。どこまでもどこまでも…



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