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早○アカで1日14時間勉強させられた中学時代を振り返る

学校の授業がない時だけだけど、

まじでそんくらい勉強してた


某塾の特訓コースなるものに入って、

中学受験もしてなくて、
カラーA3サイズのテストが勉強の全てだと思ってた小学生時代には思いもしなかったけど、


気がつけば、都内のいわゆる進学校を
偏差値の高い順から受験するための訓練を受けてた。

中3夏からは部活も引退したから、本当に勉強しかしてなかった。


今振り返ると

狂気の沙汰。



でも、今の自分の土台を形成した3年間だったことは間違いない。

とりあえず頑張るみたいな、良いのか悪いのか分からない特性はここで身についたのかも。


それに、意外とそんなに苦しい思い出がなくて。



たぶん


当時英語を教えてくれた先生のことを尊敬してたからじゃないかなと思う。




最高に情熱的で 授業は明快

自信に満ち溢れていて

宿題の量は凄まじかったけど


まじでこの人カッケェ・・・


ってなってた。


Jリーガーもプロ野球選手も別に興味なかった自分にとっての
初めての憧れだったと思う

だから頑張れた。

問題が解けるのが楽しいとか、
偏差値が上がって楽しいとかも少しはあったけど

根底はあの先生だった。



そのせいで偏差値至上主義な塾教育の違和感に気づくのはだいぶ遅れてしまったと言わざるを得ないのも事実だけど


でもあのプロセス自体を楽しんでいたから、
自分にとってはそれでよかったと思う


難関校合格という高い山を登ることをゴールに、
ひたすら歩き続け、


この山を登りきったら何があるかなんてもはや重要ではなくて

ただ登り切ることだけを考えていたような。



そういうことなら、そういうことでいいんじゃないかな

没頭できることって案外そんなに多くない気がするから。


で、ここまで振り返って改めて思うことは

その塾は家の近所だからという理由で親がたまたま見つけたから入っただけで、その先生のことも何にも知らなかったわけで


そこには何の必然性もなかったわけで、


ただの偶然。



こんな偶然の選択が自分の人生に結構大きく影響を与えたなぁと。

まぁ人生そんなもんだよねという気もするけど


ちょっと怖い。


もしあの先生に出会ってなかったら

どうなっていたんだろう。



もうちょっと彩りのある中学生活にはなってたかも?

英語得意になったからっていう理由だけで大学でオーストラリアに留学したりしなかったかも?

少なくともあんなに勉強することはなかっただろう。



タラレバの話をしても仕方ないけど

将来のことは考えておいて損はない。


自分に子供ができて塾にいれることになったら絶対色々考えちゃう


だから試しにネットで塾探ししてみたんだけど
全然まともな情報がないというか。

そりゃ各塾のウェブサイトにはそれなりに情報がまとまっているんだけど


みんなこんな環境で塾を探してるのかと思って。


この課題解決するための何かできないかなぁと

想いを巡らせている次第です。


To be continued…

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