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あなたの動機は、他人を羨むことから生まれれている

自分がやりたいことは、本当に自分の中から生まれたのだろうか?単に人を羨んで、真似しているだけではないだろうか。それなのに、その欲望に自分の人生を左右され、苦労させられ、その割に達成しても喜びが少なかったりしてるかもしれない。本書は、欲望が生まれるモデルと、そこから悪影響を受けずに幸福に暮らしていく秘訣が語られている。

欲望には二種類ある。人がそれを欲しがっているから自分も欲しいと思う「薄い欲望」と、そうではなく自身の中から生まれる「濃い欲望」だ。前者は皆が一様に同じものを欲しがるから、競争が生まれる。例えば、モノ、金、地位や名誉。経済学的には、地位財と対応しているだろう。

自分が追い求めた異様に競争の激しい世界は、こういう悪しき社会的理由によるものだったと気づいて、人生の核心が崩れていくような危機を感じた

地位財を追いかけると、競争は厳しく、さらにゴールは次々と現れるし、精神的にも体力的にもすり減っていく。それでいて、深く持続的な充実感は得られない。ただ一瞬、ドーパミンがでるだけだ。それに気づくと、これまでの自分がいかに他人由来の薄い欲望に翻弄されてきたかに愕然とする。

人は似れば似るほど、相手を脅威に感じる。

嫌いなやつは、自分に似ているやつ。そういうことは少なくない。同じものを欲し、同じアピールをしているやつ。それは自分の薄い欲望を邪魔する脅威だ。
逆に言えば、誰かを嫌いだなと思ったときには、自分が薄い欲望に巻き込まれている可能性がある。例えば、あなたが職場のある人が嫌いなのなら、その人とあなたは名誉を競おうとしているかもしれない。それは薄い欲望に巻き込まれている証拠であり、その先には、多少のドーパミンはあるかもしれないが、長く満たされる幸福感はない。

さて、他人が欲するものを自分で欲するようになる「薄い欲望」ではなく、「濃い欲望」についても少しだけ語ろう。

濃い欲望とは、他人との比較ではなく、自分の心の中から生み出される。そう簡単には見つかるものではない。これまでの人生を振り返り、意義深い充足感を味わえた経験を思い出そう。それが、自分が中核とすべき動機になりうる。

勝手に動機として育ってくれるわけではない。他人由来の薄い欲望を捨て、じっくり水をやって成長を待たなければいけないのだ。日々を振り返り、自分の行動が他人を参照したものでないかを確認しつつ、自分だけの種を育てていく。

気をつけなければいけないことは、他人とは違う欲望であっても、他人を参照して生まれたものは、薄い欲望である点だ。「あいつはAを選んだから、俺はBを選ぼう」といった具体に。





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