いらないダッシュボードやデータはなぜ作られ続けるのか

無駄な抽出で時間を浪費したくない

いらないダッシュボードを作らないようにしようは多くの人に読んでもらったようだ。この時は抽出者側としての心がけ、みたいなのを書いたのだがそれだけではいらないデータが作られるのを止めることはできない。

そこで、いらないデータが作られてしまう原因についての全体を考えてみた。ダッシュボードを作ることが活動の中心の人は「いらないダッシュボード」として読んでもらってかまわない。

前提として、抽出担当者が別にいて役割分担とコミュニケーションが発生する場合について考える。依頼者が自分で抽出して分析する場合はいらないデータを作るコストは当人の責任の中で完結するので、それは抽出ではなく「より効率良く分析を行うにはどうしたらいいのか」という別の問題として捉えることにする。

依頼者側の問題

目的がないか、あっても正しくない

目的がなければただデータを見ているだけであり、無駄である。

目的があっても正しくなければその後何をしたところでどうにもならない。これらの場合、どれだけたくさん作ったところでいらないデータにしかならない。

依頼が正しくない

正しい目的があっても、必要なデータを収集しようとする際に内容がずれてしまうことがある。ずれた内容のままで依頼となり、そのまま抽出されても知りたいことにつながらないのでやり直すことになる。

ある特定の商品のキャンペーンの効果を図るのが目的なのに、全商品の売上の推移を見たい、といった依頼はよくある。これではキャンペーンがなかった場合の様子も季節トレンドもわからず、キャンペーンの効果を調べるのには役に立たない。

また、多くの内容を依頼しても結局すぐに使うのは一部だけ、ということも珍しくない。あればなお良いがなくてもいいデータや、その時には不要だと思ったデータは基本的には依頼からはずすことが望ましい。

コスト意識の欠如

個人レベルで考えると「自分が作業をするわけではないからとりあえず依頼しておこう」となることがある。以下のようなことが頻繁にみられるのであれば、それは依頼者のコスト意識が欠けていることが原因だ。放置すると、限られたリソースを食いつぶす。

  • 大した説明もせずに丸投げして、選択肢の中から選ぼうとする

  • とりあえずたくさんあれば後で使えるかもしれないからと思いついたのを片っ端から依頼する

  • 今は必要ないけれども、必要になった時にすぐ欲しいので依頼しておく

  • いつか必要になるかもしれないから使わないかもしれないけど依頼しておく

  • なくてもいいがあったらうれしいので依頼しておく

  • 単発なのにダッシュボードを作ることが前提になっており他の選択肢が検討されない

  • クライアントや上司との約束を盾にして複雑で大量の抽出を依頼する

  • 内容が多すぎたり、目的とずれていることを指摘されても最初の内容にこだわる(そして後で抽出をやり直す)

抽出者側の問題

依頼はないけど先に想像して作る

誰がどう使うのかは具体的にはわからないが、分析する人が関わらないところで「あれば誰かが使うだろう」と想像して作ったデータはいらないデータとなる可能性が高い。

主導するのがデータの扱いに長けているためだろうが、種類は豊富であり、量も多い。あって良いと思うことも少なくないが、それでもやはり大半は滅多に使われない。

作ることだけでなく、維持管理や不要なデータが多いことで必要なデータを見つけるための認知負荷のコストを考えると、割に合うと思えたことはない。ツールの発達によりこのコストはいずれなくなっていくであろうが、それでも今のところはまだまだ負担になる。

ダッシュボードを作り、「使ってもらえない」などと言っているのはよく耳にする。もしも、依頼よりも先に作っており、具体的に誰がどのような意思決定に使うためにどう見るのかが答えられなければ、それはいらないデータを作ってしまったのだと反省するべきだろう。

とにかく全部やる

一般的に、頼まれたことは断りづらい。他にもいろいろな理由で依頼された内容をそのまま実現すると、いらないデータが大量にできる。

  • 依頼者に満足してもらうため

  • 嫌われたくないため

  • 対立を避けたいため

  • コミュニケーションが面倒なため

  • 相手の立場が強いため

依頼の内容が正しくないのは抽出者側の責任ではない。しかし、内容が明らかに正しくない場合や、そのまま実現するには工数がかかりすぎるわりにリターンがのぞめないような時に軌道修正を試みるのは抽出者側の責任であろう。

それからもう1つ、「たくさんやれば仕事になるから無駄なのは承知だけれども黙っておく」というのがある。特に外注の場合、自分の仕事と給料を減らすだけなのに「その抽出は不要では」などと言ってくることを期待してはいけない。

過剰品質

データを抽出するのは分析するためなので、内容はそのデータを使う依頼者との同意に基づくことが前提であろう。しかし、合意がないのに行われる抽出が数多く行われているのが実態だ。

  • 抽出者の独断で必要だと思った内容を増やす

  • 後で追加修正されることを見越して増やしておく

  • 合意が取れることを予想あるいは期待して抽出者側で先に作業を進める

  • 依頼されていない内容を後になって「なんでこのデータがないのか」と言われるのを避けるために用意しておく

データを準備しておくことは必要だが、無尽蔵に行えばいいというわけではない。特に、「あれば使うだろうと」利用者不在で用意されるデータは筆者の経験上ではいらないデータとなることが非常に多い。

程度の問題なので一律で良い悪いを言うことはできない。内容を増やすにしても工数が最小限で済むならさほど気にする必要はない。依頼者と連絡が取れないが時間がないので進めておくこともある。分析の経験者が介入していれば、有用なデータを用意できる可能性は高くなる。

この問題の解決が難しいのは、(受け取る側に負担はないので)喜んでもらえるために抽出者側が正しいことをしていると思ってしまう点にあると思われる。お礼を言われたから、満足していると評価されたからではなく、そのデータがいかに使われたのかだけを基準に考えなければずっと続いていくのではないだろうか。

アピールのために不要なことをする

必要以上のデータを作ってしまうのが過剰品質ならば、アピールのために必要のない作業を増やしてしまうこともある。

分析のアウトプットは情報であり、これはとても抽象的なものだ。しかも特定の問題に特化していればいるほどその情報をインテリジェンスとして捉える人は減る。つまり、大多数の人にとってはデータであって意思決定には使えない。意思決定に使えなければ価値があるものだと受け取ってもうことは難しい。

それに比べると分厚いレポートやグラフが豊富なダッシュボードはデータであっても誰でも見える形になっているために何かをしている様子が伝わりやすい。しかも、より見た目が整っていると意思決定とは関係なしにアピールにもなるらしい。

そのため、本来であれば不要なのにアピールのためにやることを増やしてしまう。単発で数字を渡せば済むのにダッシュボードを作ったりするのはその典型だろう。

アピールしなければ何かと不都合があるのはたしかなので否定するのは難しい。とはいえ、不要な作業であることに変わりはない、ということもまた事実だろう。またアピールが効いて評価されることで、仕事をした気になれてしまうという副産物もある。

まずは原因を突き止めることが必要だ

筆者は抽出者側の仕事をすることが多いが、いらないデータを作らないことを意識するようになるとかなり効率が上がる。依頼の多くは半分以下に減らすことができるし、そのまたさらに半分以下なることも少なくない。

いらないデータを作らないようにするための知識が体系化ができれば、品質管理やメタデータの記録といったデータ整備の別の仕事がもっと世の中でも進むはずだ。そのためにも手始めにいらないデータが作られてしまう主要な要因として認識していることをまとめたが、他にもあるだろうか。


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