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3.11を「忘れない」??〜どうすれば「忘れない」を達成しているといえるのか〜

こんばんは。shintaroです。
今日は3月11日、東日本大震災から10年が経過しました。
地震が起こった当時自分は小学生で、地元である長崎の公園で遊んでいたのを覚えています。あれから10年という長い年月が経った今日この日でも、日本のテレビやネットでは3.11に関する話題がたくさん流れています。
そんな中、「3.11を忘れない」という表現をよく目にすることがあると思います。この表現を見た時に自分は、「忘れない」って具体的にどういうことだろう??と思いました。
少し話はそれますが、自分は高校生まで長崎で過ごしていたので、平和学習を小さい頃から行ってきました。その中でも、「原爆の被害を忘れるな」という表現を目にすることも多々あったように思います。また、大学の授業で第二次世界大戦のホロコーストについて勉強していた時も、「remember auschwitz(アウシュヴィッツを忘れるな)」という表現を目にしました。

このように、何かの被害や災難が起こった時には「〜を忘れない」という表現がよく使われると思います。しかし、この表現はかなり曖昧であると僕は思います。すこし言葉を強くするならば、わかったようなわからないような言葉を使って、本当に大事なことを考える機会から離れてしまっているのではないかとさえ思います。(ちょっといいすぎましたが)今回は、そんな自分の中の曖昧さを払拭するために、自分なりにこの「忘れない」について考えてみました。大きく分けて↓の3つ、
・「忘れない」とは具体的にどういう状態をさすのか?(定義)
・  なんのために「忘れない」のか?(理由)
・「忘れない」ためには何をすれば良いのか?(手段)

について考えてみたいと思います。

※以下に書くことは、僕個人の見解です。僕は実際に震災を経験していないこともあって、「それは違うだろ!」と思う部分もあるかと思いますが、あくまで一個人の意見として捉えてもらえると嬉しいです。

その前に、、、

今回「忘れない」を考えていく時に、やっぱり僕たち個人の「忘れない」と日本の社会が「忘れない」は違うと思ったので、以下の定義・理由・手段はそれぞれ社会verと個人verに分けて話していきたいと思います。これは僕の前回のnote投稿、「安楽死の反対派に立ってみる」でも同じ考え方をしているので、是非そちらもみていただければと思います。(一番最後のまとめの方に書いてあります。)


では、まずは日本の社会にとっての「忘れない」からみていきましょう。

なんのために「忘れない」のか?(理由)〜社会ver〜

↑の順番とは異なりますが、この理由が一番大事であり、この方がわかりやすそうなのでまず理由から話したいと思います。日本の社会がなんのために「忘れない」か?の答えは大きく分けると以下の四つだと思います。

①被害にあった方々への追悼や、今もなお苦しんでいる人のため。
②被害を受けた地域の復興活動を継続して行うため。
③同じような被害(特に震災)が起こった時に、3.11の教訓を生かすため。
④その他副次的な効果

まず、①はいうまでもありませんが、被害を受けて亡くなった方々に黙祷を捧げる機会や、今もなお苦しんでいる方々への支援を続けるためには、社会全体とし「3.11が辛く悲しく大きな経験であったこと」を忘れずに思い続ける必要があります。
②は、資金や物資の面ですが、ネットやテレビなどを中心として、社会全体が東日本大震災のために何かしよう、という雰囲気になっていれば、寄付を行う個人や企業も多くなるでしょう。そうすることで被害地域の復興がより進みます。

③もとても大きな理由だと思います。10年前に見たように実際に地震が起こっていたり、津波で建物が流されている映像は私たちに恐怖心を植え付けるでしょう。それによって、「自然災害は誰にでも起こりうるもの」「もし自分の家にも大きな地震が来たらどうしよう」という意識が生まれ、人々の防災意識は高まります。そうすることで、次に3.11のような大災害が起きた時に、多くの人々が自分がとるべき行動をとり、被害を大きく減らすことができるでしょう。またそのような情報を共有することで、大切な人の命を守ることができるかもしれません。人々の防災意識で自然災害の被害は大幅に減ることも研究結果として出ています。逆に、社会が3.11について触れる機会をなくしてしまえば、人々の防災意識は薄れ、すぐそこまで来ているであろう南海トラフ地震などでさらなる被害が生まれてしまうでしょう。そういう意味で、忘れてはならない大きな理由のひとつと言えるはずです。

④の副次的な効果は自分の中でも曖昧なのですが、例えば震災への支援を国民全体で行うことで、「日本の社会は互いに助け合う雰囲気だ」という意識が生まれて安心感が心の奥底に生まれたり、震災への寄付をきっかけに寄付を習慣にするひとが増えて日本の寄付文化が発展したり、(日本人は世界的見ても寄付の習慣が全然根付いていません。)と言ったようなものです。この④には、直接的には作用しないものがあてはまるかなと思います。(他にも思いつく方はコメントしていただけると幸いです。)

以上が社会的な忘れない理由です。

「忘れない」とは具体的にどういう状態をさすのか?(定義)~社会ver~

先ほどの理由を参考にして定義を考えてみると、「上の4つの理由(目的)を達成することができるような社会ができていること」が定義になりますが、それでは曖昧なのでもう少し具体化すると、「3.11が近づくと、ネットやテレビでその話題が盛んに飛び交うような状態、また自然災害に対して万全の対策が必要不可欠だと市民全体が深く理解している状態の社会」が3.11を忘れていない社会の定義と言えるのではないでしょうか。(もっといい定義や意見などコメントもらえると嬉しいです。)

「忘れない」ためには何をすれば良いのか?(手段)〜社会ver~

上の定義の状態の社会を継続して保ち続けるために何をすれば良いのかということですが、社会は実態を持ちませんので、(物体として存在していないので、)実際に行動するのは私たち人間です。特に行動が社会に影響を与えるような行政の人々や有名人、社長などのインフルエンサーです。定義の前半の「3.11が近づくと、ネットやテレビでその話題が盛んに飛び交うような状態」を作るためには、テレビ局の人が3.11に関する特集を組んだり、SNSで有名人が3.11についての話題だったり、寄付を促すようなものを投稿したり、といったことで自然とこの状態を作れると思います。
(これは少し余談ですが、僕の好きなバンドのRADWIMPSは毎年3.11に曲を作っていて、今日これまでの10曲が入ったアルバムが発売されました。このアルバムで得た利益は全額寄付され、日本全国で起こる自然災害の支援活動に充てられるそうです。こういうのも活動のひとつと言えるでしょう。)
定義の後半の「また自然災害に対して万全の対策が必要不可欠だと市民全体が深く理解している状態の社会」を作るためには、例えば行政の方々が、学校で自然災害とその対策を子供達に教えたり、自治体ごとに避難場所をきちんと確認する習慣をつけさせたりするような制度を作ったりすることができると思います。また、先ほどのインフルエンサーが災害時に取る行動を社会に発信したり、といったこともできるかもしれません。


以上が僕が考える「3.11を忘れない〜社会ver〜」です。時間が経つにつれてどうしても人々の3.11への意識が風化していくことは免れません。復興がいち早く終わること、そして自然災害への万全な対策ができている社会ができることを願っています。

次は個人verについて考えてみましょう。


「忘れない」とは具体的にどういう状態をさすのか?(定義)〜個人ver〜

個人verは、わかりやすさを考えて定義から先に話したいと思います。これは実際に被害を受けた方々とそうではない人では大きくことなると思いますが、僕は被害を受けていませんので、その視点からしか論じることができません。被害を受けた人目線に立つのは少し難しい気がします。
色々と悩んだ結果、被害を受けていない人、テレビでみているだけだった人の「忘れない」の定義は、「3.11にたとえサイレンがならなくとも黙祷を捧げられること、また自然災害に対する防災意識を常に持ち、家で地震が起きた時などに自分が取るべき行動をきちんと理解している状態」としたいと思います。社会は個人の集合体なので、もちろん社会verに通づるところがあります。

なんのために「忘れない」のか?(理由)〜個人ver〜

ここもとても悩むところでした。「なんのためか?」という問いは、「どんな利益を得るためか?」に置き換わってしまいます。個人の利益を考えると、災害時に自分や大切な人の命を守るためになるとは思いますが、それで止まってしまいます。黙祷を捧げる理由や復興のための寄付をする理由は思いつきません。
しかし途中で理由を考えるのをやめました。人が他人を思いやったり助け合ったりする理由を利益と結びつけるのは野暮なことだと思いました。理由や理屈から離れた行動をとることこそが人間の美徳といえますからね。(少し話がそれましたが)

「忘れない」ためには何をすれば良いのか?(手段)〜個人ver〜

これは個人の意識次第ではあるかと思いますが、僕が実践してみようと思ったことは、
・テレビやネットからの情報にアンテナを貼っておくこと
・今回のnote投稿のように、震災について自分がかんがえたことをoutputする機会を作る(この記事を書いて、自分の考えていることが少しまとまりました。)
・寄付を積極的に行うこと
・家の近くの避難経路を確認すること
・災害時にとる行動を常に確認すること(家だけではなく外出している時も)
・防災の知識を家族などの大切な人に共有すること、、、などが思いつきました。

自分から積極的に行動を起こしていくことで記憶にも残り、「忘れない」を達成することができるのではないかなと思いました。


まとめ

以上が、僕なりに考えた社会verと個人verの「3.11を忘れない」です。なんとか今日投稿したかったので、議論がきちんと及んでいない部分もありましたがどうだったでしょうか。感想などをコメントしてもらえると嬉しいです。

次回は長崎人として、「長崎の原子爆弾を忘れない」について考察していきたいと思います。「3.11を忘れない」と似たようで違うところもあるような気がするので。

長く拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。









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