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国民服

20年近く、同じ服ばかり着ている。

勿論、着古したら、買い換えるので、ボロボロの服を着ている訳ではない。

とにかく、同じデザインの服を、ずっと着ていると言う意味だ。

だから、家のクローゼットには、某ファストファッションメーカーの、白のTシャツが20着程、ズラーと並んで掛かっているし、

お店に行って、「これ、20着下さい。」と言い、怪訝そうな顔をした店員さんが、「少々、お待ち下さい。」と言って中々戻って来ない、なんて事がよくある。

何故、そんな事をしているのかと言うと、毎日、服を選ぶのが面倒臭いし、お洒落な服は、お金が掛かるから、と言うのが大きな理由だ。

だから、安くで買える、某ファストファッションの服を、年柄年中、着ている。

当然、季節は巡るので、春夏秋冬に合わせて、4パターンある。

春、パーカー、スエットパンツ。

夏、Tシャツ、短パン。

秋、パーカー、スエットパンツ。

冬、ダウン、パーカー、スエットパンツ。

申し訳ない。

春と秋が同じだったので、3パターンだ。

更に、春秋と冬は、パーカーの上にダウンを着ているかどうかの違いだけなので、実質、2パターン+防寒着である。

つまり、

・Tシャツ

・短パン

・パーカー

・スエットパンツ

・ダウン

以上、5点で事足りる。

勿論、パンツと靴下も、某ファストファッションの物を使っていて、全く同じ商品が、2、30点、大量にタンスに放り込まれている。

慣れない人が見たら、ギョッとする光景だろう。

しかし、そんな僕でも、こだわっているファッションのポイントがある。

ダサくもなく、オシャレでもない、機能性重視の、着ていて疲れない服。

この一点だ。

「ダサいなぁ。」と思われるのは嫌だし、「お洒落やん!」と思われるのも嫌だし、「しゃがみにくい!」とかも嫌だし、「この服、重たいから疲れるな。」とかも嫌だ。

これ以外の服は全て捨てたし、これ以外の服を買う事は、今世では無い。

それ位、僕はフッションには無頓着で、興味が無いのである。

服選びに頭や気を使うのなら、他の事に使いたいし、お金も別の事に使いたい。

だから、ある時から、こんな考えを抱く様になった。

どうせ決まりきった服を着るんだから、それを買いに行ったり、それにお金を払うのも疎ましいので、国が定期的に支給してくれたらいいのに。

つまり、これが、今回、僕が提唱する考え方。

「国民服」

である。

国から、ダサくもなく、お洒落でもない、機能性に富んだ、着ていて疲れにくい服が、季節に合わせて、定期的に届くのである。

勿論、デザインは一種類のみで、サイズ展開は用意されている。

そして、財政で確保されており、税金で賄われるので、無償で支給される。

財源は、無駄に増えて行く医療費を見直して圧縮し、そこから確保する事とする。

これが実現すれば、わざわざ服を買いに行く必要もないし、お金を払わなくてもいい。

「同じ服着てるやん!」と思われたらどうしよう?と思い悩む事もなくなる。

「だって国で決まってるもん!」と国の決めたルールのせいに出来るし、

そもそも、日本国民、全員が、同じ服を着ているのだから、「昨日と同じ服着てるやん!」と言って来る奴も、同じ服を、昨日も着ているのだ。

僕が独裁者なら、今直ぐ、この法案を可決するし、期限付きの法案で様子を見るなんて生ぬるい事はせずに、秒で憲法を書き換える。

施行されると、国民は、毎日の服選びから解放されるし、

先天的に美的センスがなく、陰で「あの人、ダサくない?」と悪口を言われる人もいなくなる。

「これいくらやと思う?」と言うクイズに答えなくて済む様にもなる。

素敵な世界だ。

ただ、そんな世の中でも、お洒落をして、自己主張しようとする奴が、必ず出て来る。

データを誤魔化して申告し、Mサイズの体型なのに、LLサイズの国民服を着て、ざっくりと、ゆとりのあるサイズ感で、個性を出そうとして来る奴がいたり、

逆に、SSサイズを無理矢理着て、ピタッと感で、先鋭的な、未来の雰囲気を醸し出し、個性を出そうとして来る奴も現れる。

更に、季節感を先取りする事で、独自の価値観を打ち出し、お洒落を表現しようとする奴も出て来る。

まだ夏の終わりなのに、秋の国民服を早めに着る事で、「自分は人とは違うセンスでやってます!」と言わんばかりに、承認欲求を満たそうとして来る奴の事である。

そもそも、そう言った外見の個性を消す為の法案だし、外見ではなく、内面を磨き、精神面や、考え方で、人と違う個性を持とうと言う願いも込められた法案でもあるので、その辺は厳しく取り締まって行く必要がある。

なので、しっかり権限を持った、「国民服監査官」なる役職の人間を街に放ち、常に監視の目を光らせ、少しでも個性を出してルールを逸脱しようとする、お洒落な奴がいれば厳しく指導する。

お洒落な奴は、偶然を装ったり、気付いていない振りをして個性を出そうとしたりするから注意が必要である。

例えば、長袖の国民服の片方の袖だけを、めくり上げている奴がいたりしたら、「アシンメトリーを駆使して、人と違う価値観を主張していないか?」と厳しく詰問し、「袖をめくる場合は、両方めくるか、両方下ろすかにするように!」と指導し、反則切符を切って、しっかり罰金を払わせる。

「知らなかった!」や「そんなつもりはなかった!」では許されない。

駄目なものは駄目なのである。

しかし、そこまで厳しく取り締まっていても、必ずルールを逸脱し、なんなら勝手に自分でデザインした、メッセージ性の強い、お洒落な服を着て、繁華街に繰り出し、わざと、国民服監査官に確保され、連行される姿を、協力者に動画で撮影させ、SNSにアップし、権力に逆らってでも自らのファッションを押し通すストーリー性も含めて、お洒落なんだ!みたいな奴も出て来るので、そんな奴は牢屋にぶち込み、お洒落な奴らがどう着こなしてもダサくなってしまう、オリンピック男子体操選手が着用している、競技用タイツを、無理矢理、着させ、独房の様子を公開し、見せしめにする。

そんな事をすれば、人権団体と、男子体操協会がデモを起こし、抗議して来たりするが、催涙弾を撃ちまくって鎮圧する。

もう普通に、暴力と恐怖で支配する。

毎日の服選びの疎ましさから解放される為に、多少の犠牲は必要なのだ。

しかし、恐怖政治で押さえ付ければ押さえ付ける程、人々の主張は燃え上がり、やがてレジスタンス的に活動していたグループが力を蓄え、反旗を翻し、自由を勝ち取ろうとするのが世の常である。

良識を持った、若きリーダーが、時代の旗手となり、物心両面、外見も内面も大事であると、至極真っ当な意見を持って、民衆に訴え掛け、やがてそれが大きなうねりとなり、国家は、あっさり転覆する。

僕は、国民を悪法で扇動し、罪も無いお洒落な人達の人権を奪った罰で、懲役を課せられ投獄される。

二度とこんな事が繰り返されない為に、未来の人達への警鐘も兼ね、その若きリーダーの銅像が、ファッションの聖地、下北沢の駅前に建設され、革命が起きた日は、「ファッションの日」として、祝日に制定される。

そして、僕は、収監された牢獄で、人知れず、肺炎か何かを拗らせ、呆気なく死ぬ。

世の中に、国民服は必要なかったし、

ファッションは偉大だと言う事が、改めて再認識される。

そして、男子体操選手が着ているタイツは、そこまでダサくないと言う事も、最後に付け加えておきたい。

めでたし。めでたし。

……。

何が!?


こんな思想を持っている人間が、普段、一体どんな漫談をしているのか?

気になった方は、是非、こちらを観て頂きたい。

脳、揺れる位、笑かすつもりだ!

漫談「丸ノ内線」(YouTube)


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