怒涛の1か月のあとに

9月2日に最愛のジーク太郎がウマキチのレトルトの馬肉を100グラムと東都生協の岩手の卵のゆで卵の黄身を食べ干して安心してちょっと気を許したら亡くなり、その後目から充血、母の101歳の敬老の日の催しにはコロナ感染で参加できなかったのが、あれよあれよと10月4日に花が亡くなり、16年前に亡くなった父の時の葬儀屋さんが良かったので、当時頼んだコプセに連絡したのに山田葬儀とはつながらず、夜なべしてネットで葬儀屋探しするも、大体の相場は分かったものの、帯に短したすきに長しの状態だったのが、4日の日の早朝5時に、メモ魔の私がどこかに残しているだろう、とスマホのアドレス帳にあった電話番号を上から試して5番目につながったのでした。

そしてその日もいろいろあったあげく、午後2時過ぎに母が亡くなり、山田葬儀さんにお願いして、昨日6日に無事、旅に付しました。本当にその間もいろいろあったのでいつかまとめたいと思いますが、疲れ果てているはずの私は今朝は気持ちよく目覚められました。これが今後も続いてほしい。

生前、ジーク太郎とフリート新之助とは前世も一緒、来世も来来世も一緒だと毎日口にしていた母、どうもその通りのようです。

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