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福大生との交流を通して

 初めの木島さんの話を聞いて考え直すところが多々あった。木島さんは、高校時代では学年でも最下位に常にいる存在であった。そこから人生の中である気づきによって必死に勉強するようになった。ほかの人よりも遅めに大学に入学したものの、現在、大学では主席を維持するほどの努力をしている。ここで私が一番気をとめたところは、”ある気づきによって必死に勉強するようになった”というところである。ある気づきというのは人それぞれ異なると思うが、必ずきっかけというのは訪れるものだと私は考える。これは必ず勉強している場面で来るということはないと思う。部活や日常の生活、何も考えず、ふとした瞬間に起こるかもしれない。いまだに自分の中で気づきがあったかと振り返っても、ないだろう。そのようなきっかけがいつ来るかわからないが、そのきっかけにもよるだろうが、そのきっかけを逃さずに自分の中でしっかりと吟味していけるようにしたい。
 そのあとの福大生との座談会では普段聞けない大学のことについて知ることができた。教員を目指している身からすると教育学部に所属していた人の話はとても貴重になった。また一つきっかけが生まれたかもしれない。私以外にも福大生に質問を常にしていて、一つ一つの質問が私たちにとってとても需要のある大切なものになった。中学生の時点で教員という夢のためのプランを立てて、自分なりに考えて実行してきたつもりだったが、それは”つもり”であって、実際にはそれほど中身がなかったものだったのかもしれない。これからに人生についてのことだったのに深く考えることができていなかったことは反省するべき点であると思う。今できることをしっかりと把握して自覚し、行動に移すことがとても重要になってくる。ここで一番大切なのは自覚することだと思う。自分の性格上、認めたくない時があるのが多くみられる。自分の不備を何も認めず自分の思い通りになればすべて良しというような考えは、あってはならないと思う。少し耳が痛くなる時が多くみられると思うが我慢も自分自身を鍛えるいい機会だと思う。そのようなことを日々意識することで自分自身の向上に役立つと思う。
 今回の交流を踏まえて自分自身の在り方や、今後の将来についての日々の生活の考え方について数多く考え直すことができた。毎日将来について意識しながら生活することはとても難しいことかもしれないが、そのくらいの気持ちをもって日々生活していきたい。

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