意図

ブログを始める。理由は流行っているからである。流行っているのは何年も前からのことだろうという意見もあるだろうが、最近の流行り方は何か違う気がする。以前に比べ、最近は自己表現の場のひとつとしてもてはやされ始めた、そんな感じ。

思うに、SNSの発展に伴いインターネットから匿名性が薄れ、ブログを含めたすべての場所が、少なからず自己表現を伴うものになってしまっているのだろう。以前のブログといえば匿名性が強く、文章とそれを書いた本人は切り離されていたものであった。今やブログ、noteといったまとまった文章と人物は簡単に結びつく。

おもしろいことでもあるが、恐ろしいことでもある。およそインターネットリテラシイらしいものを学びながらネットを使ってきた私たちの世代の感覚もすっかり麻痺し、我々は自分自身をネットの海に曝け出してしまうように誘導されていく。私もそうだ。むごい黒歴史生産機である。

黒歴史を作るという目的ならTwitterで十分だろうとも考えたが、やはり私はブログを書きたいと思った。流行っているからというのが一番の理由ではあるが、他の理由もある。

何かしらSNSを使う以上、そこには必ず意図が発生する。Instagramなら思い出の切り取り、Facebookなら記録と他者への伝達、Twitterなら今の感情の共有など、SNSごとに特性はあり、ブログもブログ独特の特性を持つ。私はブログを、表現をした段階においては一方通行であるという、言うなれば本に近い特性を持つものであると思っている。一方的に表現された私の内面が蓄積されると、それは私を表すものになる。

この方法によって、自分が何を考えて生きているのかを知りたいと思ったというのが、ブログを始めるいちおうの理由である。自伝を書く気力などない私にちょうどいい。

というわけで今日より私は、回収出来ない黒歴史をひたすら生産していこうと思う。その過程の中で、少しはマシな文章が書けるようになるとよいが。

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