見出し画像

僕と勉強とスポーツ(2022年3月29日)

高校生の頃、「僕は勉強ができない」という小説を読みました。
勉強は嫌いだけど頭の回転は早くて機転が利いて、スポーツができて見た目もかっこいい男子高校生が、大人の偽善とか嘘とかをぶった切っていく話です。当時この主人公がとてもかっこよく思えて、こういう風になりたいなあと思っていました。

いきなり話は変わりますが、フランス語の勉強を始めてちょうど半年がたちました。完全ゼロからのスタートでしたが、半年こつこつ頑張ったら、それなりに進歩できました。自分は語学の勉強は好きだし、どちらかというと得意な方なのかもしれないなと感じました。

一方で、長年やっても全然上達しないもの、しなかったものも沢山あります。たとえばサーフィンとか、ラクロスとか、ランニングとか。スポーツ全般に、基本全然ダメですね。フランス語を始めてから、これらがフランス語と比べて全然進歩してないことを痛感し、改めて自分はスポーツよりは勉強の方が向いてるんだろうなと思いました。「僕は勉強ができない」よりは「僕はスポーツができない」の人間なんだなと。

一方で、自分のこれまでの人生の中で、勉強に情熱や時間を割いてきた部分はかなり少ないです。どちらかというと、僕は自分の苦手なことに情熱を注いで生きてきたんですよね。多分そこには自分にないものに対する憧れとかコンプレックスがあって、それを乗り越えることで自分を変えたいと思っていたのかもしれません。それは、見方によっては、非効率なことだったのかもしれません。そんなことに時間を使わずに、自分が得意なことに沢山の時間と情熱を注ぎこんでいたら、今とは全然違う自分になっていたかもしれない。

大学4年で就職活動をしていた時、面接で、「大学では、ラクロスでちょっとでもAチームに入って試合に出られるように朝練、ビデオ、筋トレで毎日過ごしています!」という話をしたら面接官の人に、「君さ、せっかく一橋大学入ったのに、勉強全然しないで部活ばっかりやって、それでラクロスもBチームなんでしょ?そういう大学生活で本当にいいの?」と質問されました。当時は何を言われているのかよくわからなかったのですが、僕の生き方というか、時間の使い方に対して、鋭いところを突いた質問だった気がします。

でも、僕はそういう風に時間を使ってきたことに、一ミリも後悔していません。今僕が、世界を舞台に仕事をしたいと思えているのは、世界のいろいろな国に大切な友達や仲間がいるからです。そして、自分がそんな風に世界とつながれるようになったのは、間違いなく、苦手だけど情熱を注ぎこんでいたスポーツのお蔭です。留学に行ったオーストラリアでも、スペインでも、今でも親しくしている友人の多くは、当時情熱を注いでいたラクロスで出会った人たちです。6年前に体調を崩したとき、そこから這い上がる力をくれたのは、ランニングとサーフィンでした。自分なりにスポーツに情熱を注いで生きてきたからこそ、ラグビーワールドカップの仕事も、チャレンジしたいと思いました。そして、それは人生の中で最高の経験の一つとなりました。

これからも、ヘタクソなりに、スポーツを一生楽しんで生きていきたいと思っています。

一方で、自分もいい歳になってきたので、いい加減に自分にないものに対する憧れとか、コンプレックスにこだわるのはやめようと思っています。

僕は勉強ができない」の主人公はかっこいいけど、僕はああいう風にはなれないことが、39年生きてきて分かりました!これからは、自分が(スポーツよりは)得意な語学だとか、勉強だとかにも、情熱と時間を注いで、自分の得意なところにも誇りと自信を持って生きていけるように、頑張っていきたいと思います!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?