偏見
かたよった見方。
実際、偏見が一切ない人なんていないのだろう。と勝手に思っている。
NZでCanadaのときとは違う別の経験をできていることがある。
Canadaのときは japanese restaurantと国際色豊かなhostelが職場だったから、一つの特定の国籍の海外の友達が多くいなかった。
自分の周りには、いま身近にたくさんのFilipinoがいる。たまたま。roomie 5人、カフェの同僚とchef、髪を切ってもらってるのもFilipino。ざっと10人ぐらいかな。
フィリピン人に関しては、もともと愛想の良いフレンドリーなイメージ。
ただ、東南アジア共通だけど、衛生的な部分で良くないイメージがあった。レストランとかタイ旅行の経験からかな。勝手なイメージでごめんなさい。
かれこれ、もう8カ月も経つのか。。綺麗とは到底言えない、もはや汚いまである古い家の中で、自分の使うスペースは常に綺麗になんとか保ちながら生活している。
正直、引っ越せばいいのだが。職場までの徒歩圏内で家を探すのが困難であるのと。家賃やら、1年分の荷物を落ち着かせたのを整理する面倒やら、いろいろとコストと時間をはしょって、落ち着いた。
汚かったり、洗い物の放置だったり、ものをうまく片付けられない2人と、きれい好きの別のroomieに常に配慮ができる3人と生活している。たとえ、その友人たちは同じ国籍であっても。
cafeの職場では、3人のmaori, 19歳の若い女の子たちは、暇があればすぐさぼったり、houseroleを守れないことが多い。だけど、別のレストランの職場では誰よりも真面目で、礼儀正しいmaoriの17,18歳の女の子2人と働いている。
海外のお客さんの中でも、サービスをする上で、中国人とインド人のグループ相手はいつも苦手だった。今も苦手かも。。注文が多かったり、威圧的だったり、偉そうな雰囲気で話しかけてくることが多かったから。
でも、レストランで、常にだれに対してもrespect がある attitude を見せる一部のchef は、Indian。cafeでの面倒見の良いowner と いつも頑張り屋さんの真面目な同僚はChinese。
出会った人の特徴、特に悪い部分を、国籍で括るのは簡単だ。
"○○人だから"
こんなに簡単でsimpleに人を片付けられる便利な言葉は、なかなか他にはないかもしれない。ただ、それは大抵 wrong way であることが多い。偏見だ。
割合、傾向でその表現が正しい時もあるけれども、年齢、国籍をjudgeする前に、まずはflat に人として向き合うべきだ。自分はそうでありたい。
たとえ少しの時間であったとしても、 その相手とrelationship, communicationが必要であるのならば。
ああ、つぶやきのつもりが長くなってしまった。。
まあ、言葉、文章にしてみたら、頭の中、少しすっきりしたから結果 alright.
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