僕がベトナムに来た理由

最近、ベトナムは、コロナの影響もおさまり普通の生活を取り戻しつつあります。

実際、外には多くの人が出て飲食店も開き、コロナ前と違うことと言えば、マスク着用率が、70%から95%になっているぐらい。。。元々、ベトナムは、空気の汚さから、マスク着用率は高いので。

そんな普段の生活に戻っては、いるものの、やはりイベント関係の仕事はまだ、停止しておりまして、中々仕事が入ってきておりません。

映像系の仕事は動き出していますが、人が集まるイベントは難しいのでしょうね。

そこで、ちょっとベトナムにきた理由なんかを書いてみようかと思います。本来、noteとかは自分の内面をさらけ出す場所だと思っています。それをなぜ今まで書いてこなかったのかと疑問にさえ思っています。

でも、ベトナムにきた理由は、簡単です。

「日本で売れなかったから」

その一言につきます。

僕らがベトナムに来たのが、芸歴8年目の時です。2008年デビューの我々は、コンビを組んだ時から、「10年目までに食えてないとやめなきゃいけないよね」なんて話をしていました。

1年目、本当に仕事ありませんでした。ライブも月に1、2本それで、事務所内ライブで昇格できず毎日アルバイトの日々でした。

2年目になると、事務所ライブでやっと、昇格したり、降格したりすることができ、着実に力をつけている感覚はありましたが、アルバイトの日々でした。

3年目になると、やっと事務所ライブで5段階ある中の真ん中まで行くことができました。この頃になると、少しづつライブは増えますが、テレビのオーディションには合格できませんでした。そんな中、あらびき団のオーディションに合格したのを覚えてます。収録まで行きましたが、収録後になんと、番組終了。。。

4年目になると、M1で勝ちたいという思いから、新しい漫才の形を模索し始めてました。すると、見事にどんどん、事務所ライブ一番下まで降格していきました。

5年目は、我々の転機の年でした。相方がロンドンハーツネットムービーで脚光を浴び、一躍有名人になりました。ただ、実力不足で、中々、次への仕事へ繋がりませんでした。事務所には、我々メインのライブ(パナマジハリウッド)など作ってもらいましたが、僕らが売れることはありませんでした。

6年目、かなり焦ってました。毎日毎日バイト、10年続けていたアルバイトを首になります。

7年目、漫才も上手く作れない、芸人での仕事は、ライブと週末の営業、しかし、収入のメインはアルバイト。Youtube芸人1期生として、オーディションに受かりますが、それでも、売れる様子はない。。。

この年、結婚もしました。

そんな中、「アジア住みます芸人」のオーディションが吉本全芸人に届きました。

僕らは、以前から、話していました。住みます芸人の海外があったら挑戦してみたいと。唯一無二の存在になれると思うから。キャラがないキャラがないと言われ続けキャラを模索し続けた7年。海外に行けば日本人というキャラで戦えると思いました。そして、海外に行けば、先輩がいない分、現場で戦って、実力もつけていけると思いました。

オーディションが1年ぐらいかけて行われ、思いをぶつけたら、合格しました。国も実は選べました。僕らは、正直言うと、どこでもよかったです。

ただ、「他の人がいない国がいいな」とは思ってました。

やはり、唯一無二の存在になりたいというのが強かったので。

そして、ベトナムに僕らコンビで行くことになりました。

こんなこと言うと、よく言われるのが、「日本で売れなかった奴が海外で売れるの?」です。

まぁ、チャンスはもらえますよね。それをどうするかは、実力次第ですが、日本以上に打席に立つ機会はもらえてます。

日本だと打席に立つことすら難しいのです。それが、もらえるだけで、行く価値はあると思っていました。打席に立てば立つほど実力がついてくるのは当然です。一回一回真剣にやればついてきます。ウケる人間ほど、スベッてると思います。

笑いの数だけ涙ありですよね。

そのおかげで、こちらでは、色んな番組に出演しましたし、冠番組ももてましたし、コント番組、トーク番組のレギュラーももらえました。一つ一つが財産だと思ってます。さらなる飛躍を目指し爆進中です。

完全ローカルの方に指示してもらっているtiktokは34000人のフォロワー超えました。ありがとうございます。

引き続き応援よろしくお願いします。



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