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5000m13分台を初めて出した時の練習④まとめ

前回までで4月~9月までの練習実績を記載しましたので、今回はまとめとして「なぜ13分台が出せたのか」自分なりに分析してみます。あくまで当時の考えを分析したものなので、現在の考えと違うところもありますし、生理学的に間違っている可能性もありますのでご承知置きください。

1. 継続こそ力なり

大学院約2年間の内、故障でトレーニングが中断した期間は3週間ほど。大学時代は3か月練習して3か月故障というサイクルをほぼ4年間繰り返していたので雲泥の差。大学院時代の月間走行距離は300km前後ではあったが、1500m3分49秒、5000m13分58秒、10000m29分9秒まで記録を更新。トレーニングを故障で中断しないことで少ない走行距離でも結果を出せた。要は継続が大事ということ。わかってはいるものの、継続が一番難しく、今でも故障をしてしまうのだが・・・。

2. ねらいを明確にする

大学卒業以降はセルフコーチングであったため、日々のトレーニングは全て自分で考えていた。目的とするレースの目標から逆算し、現状の能力と目標を達成するために必要な能力とのギャップを分析し、そのギャップを埋めるべくトレーニングを考えていた。そのためjogを含め、常に日々のトレーニングに対して明確なねらいを持っていた。
インターバルを実施する場合、調子が悪かったり、天候不良などでペースが追えない場合は、無理に設定タイムを追い、未消化に終わるよりも、その日のねらいを達成するために、距離を短縮したり、主観的に効果が得らていると感じるペースまでタイムを落とし、確実にその日のねらいを達成するように心がけていた。

3. フォームへの意識

高校時代から走りの調子が良い・悪いなどと感じることはあったが、大学では集団でのトレーニングが主なため、動きの感覚が悪くても自己都合でトレーニングを中断したり、途中でペースを落とすことが難しかった。また、私自身は疲労のキャパシティが小さく、集団での過度なトレーニング負荷によって疲労のキャパが限界を超え、フォームへの感覚が鈍くなっていた。
大学院時代に疲労が少ない状態でjogをすることでフォームに対して敏感になり、「疲労以外の何の要素が走りの感覚に影響を及ぼしているのか」と感じやすくなった。その中で足の使い方なのか、腕の引き方なのか、バランスなのか・・・等模索し、引き出しを増やしながらトレーニングを行っていた。
感覚が良かった時、悪かった時の差を自分で考えられるようになり、原因を突き止めることで良い感覚の再現性が高まった。


4.距離にこだわらない

大学生の時の様に朝練習で〇kmなどと走る量が決まっておらず、また、他人と自己の走行距離を競う必要もなかった。従ってその日のコンディションによって走る量をコントロールすることが出来た。決して妥協するというわけではなく、動きが良い日は長めに走ったり、逆に動きが悪い日は短めに終えたりとコンディションによって走る量を変えていた。動きが悪い日はすぐにjogを止めるのではなく、立ち止まってドリルを行ったり、自分で考えうる対策を施した上で悪ければ止める(今でもたまに途中でjogを中断して何かを試したりするのでチームメイトに驚かれることもしばしば)。
良い感覚で走る時間を増やすことで故障を防止するだけでなく、疲労度と動きをコントロールすることが出来るようになり、重要なトレーニングやレースに体調を合わせることが格段に上手になった。
現に大学院時代は日体大記録会へ9回出場し、1回目以外の8レースは全てコンディションを合わせることができ、自己記録を更新している。

5.スピードトレーニング

長距離走にとって最大スピードを高めることはレースの最終局面で勝利することだけでなく、レース中のペースを遅く感じられるようになれるという面でも非常に重要である。陸上を始めた頃はインターバルトレーニングで200m以下の距離を走ることが多かったが、高校、大学と進むにつれ、いつからか400mのインターバルがスピードトレーニングの最小単位となっていた。しかし、よく考えると大学時代によく行っていた400m×10本68秒200m50秒繋ぎなどは最大スピードに全く達することのないトレーニングなのでスピードトレーニングとは言えない。
そのことに気が付いた大学院時代(気が付くのが遅い!!!)は最大速度に近いところで走ることに目的を置いたトレーニングを行った。中学時代は200m30秒を簡単に切ることが出来ていたが、大学生の頃には30秒を切るのが難しくなっていた。しかし、大学院で最大速度に近いインターバルを多く行うようになってからは27秒を切れるようになった。

6.一緒に走る仲間の存在

私の周りには一緒にポイント練習したり、jogしたり、駅伝に出たりしてくれる仲間がいた。基本的にトレーニングは一人で行うことが多かったが、たまに仲間と一緒に走ると新しい発見があったり、走ることへのモチベーションが保てた。市民ランナー時代に仲間で出場した駅伝は良い思い出である。 
今のチームメイトも走ることに真摯に向かい合う刺激しあえる存在である。走ることは一人でも出来ることだが、仲間がいることでより楽しくなるし、トレーニング効果も大きくなると考えている。

7.最後に

大学時代は竹澤さんを筆頭に実績・才能を持つ先輩後輩、実業団に入っても圧倒的センスを持つチームメイトの中で自分の無力を実感してきた。しかし、その中で①楽しみながら、②固定概念に捉われることなく、③頭で考えて競技してきたからこそ三大駅伝未出走ながら32歳というまで実業団で走ることが出来ていると思っている。これからも自身とチームのパワーアップを目指して上述の①、②、③を大事にしながらも厳しくトレーニングを行っていく。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。これからも弊社チームの応援よろしくお願いします。また、書いて欲しい内容などあれば気軽に連絡ください。

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