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今月の社長コラム

 休みの日に、妻と娘と3人で「あじさいの里」に行ってきました。さぞかし、見晴らしの良い場所にたくさんのあじさいが咲いているのかと期待しましたが、駐車場もなく、田んぼや畑があるばかり。そのあぜ道にあじさいが植わっていました。あじさいが終われば普通の田園風景です。いかにも「町おこしでやっています」という感じでした。でも、最初はどこも似たり寄ったりのところからスタートします。これからどうなるかな~。炭酸飲料といえばコカ・コーラ。若い頃は飲みましたが、最近はほぼ飲みません。薬臭い感じがするからです。体質が変わってきたからでしょうか。ファミレスのドリンクバーで飲むのは、もっぱら炭酸水かジンジャーエールです。今は梅雨寒の日もありますが、梅雨が明ければ暑い夏がやってきます。皆さま、備えてまいりましょう。 〈櫻井 晴信〉

オススメ《書籍紹介》

 「国民教育の父」と呼ばれた森信三先生の教えを、最も体現した教師が徳永康起先生でした。徳永先生は、尊敬する兄の薫陶を受け、クリスチャンになります。そして、教え子たちの人生に責任を持つ親のように、教え子たちと生涯交流しました。エピソードを一つご紹介します。
 太田郷小学校の5年5組を担当した時に、3歳の時に生みの母と離別し、父親は別の女性と再婚した女子がいました。彼女の家を訪問してみると、悲惨な状況でした。寂しかった彼女は徳永先生を慕って、先生の腕にぶら下がり、よく甘えてきました。一学期が終わろうとする頃、鹿児島から彼女に一通の手紙が届きました。それは母からの手紙であり、泣く泣く彼女を手放さざるを得なかった悲しみがめんめんと綴られていました。彼女が小学校に入学する時、お母さんはその晴れ姿
を一目見たいと鹿児島からやってきて、校門のところに隠れて見ていました。ところが継母に見つかってしまい、人々と彼女の前で小突きまわされ、最後には田んぼに押し倒されて口汚くののしられました。その時、彼女は母にしがみついて離れなかったそうですが、継母に引き戻されてしまいました。
 徳永先生がお母さんに「大丈夫です。素直で、しっかり育っています」と返事を出すと、先生宛にお金や洋服や学用品が送られて来るようになりました。先生が継母に知られないように用心に用心を重ね、先生がご褒美を上げたことにして、そっと彼女に渡していました。しかし、継母にばれてしまい、いらぬお節介をするなと怒鳴られました。
 中学を卒業した彼女はあるお店に勤めましたが、継母はわずかな給料を取り上げて酒代にしました。そこに父親が急死したのです。彼女は途方に暮れ、どうしらいいか相談に来ました。
 継母はもっとお金にしようと、歓楽街で強制的に働かそうとするに決まっています。徳永先生は躊躇することなく、「鹿児島のお母さんのところに逃げろ」と勧めました。
 その後、彼女は継母から籍を抜いて、母の籍に入り、結婚して母と一緒に幸せに暮らしました。
 徳永先生は、毎月「天意」という一人雑誌をガリ版で刷り、教え子や関係者に送り続け、「複写はがき」を毎日5 枚ずつ気になる教え子に出し続けました。
 「私のたった一つの誇りは、私よりはるかに高く、かつ深く生きている教え子の名前を、即座にすらすらと、何人でも息もつかずに言えることです。そしてそれ以外には何一つ取り柄のない人間です。ありがたきかな、無一物にして、無尽蔵!」