「私がいなくては」から「私がいなくても」へ

「宿題はやったの?」「そろそろ勉強しなきゃいけないんじゃないの?」と、子どもの先回りをする親御さんは多い。そして先回りされた子どもは、意欲を失うことが多い。言われたからやる、という格好になるとやらされ感(受動感)が強くなり、つまらなくなる。

どうして先回りしてしまうのだろう?観察していると、独身の時にはそうでもなかったのに、子どもができると先回りしてあれこれ子どもに言ってしまうようになってる。
「乳児期育児」が、先回りするようになる大きなきっかけになっている、という仮説を持っている。

生まれてしばらくは三時間ごとの授乳をしなければならない。この時、かなりの睡眠欠乏に陥る。一時間も眠れない細切れの睡眠が24時間、数ヶ月続き、フラフラ。なんとか睡眠を確保しつつ家事を回さねば、と、授乳しながら「赤ちゃんが寝たらそのスキに洗濯して、洗い物して・・・」と、段取りを考える。

赤ちゃんの首がすわるようになっても、予防接種をどうするかとか、結構手続きに忙しい。自然、段取りを先に先につけておかないと回らないから、先回り思考が常態化する。独身の時はそうでもなかった人が、出産を経て段取り力、先回り思考を身につけるのは、乳児期育児がかなり大きいように思う。

YouMeさんも、育児を経て先回り思考が身についた人だが、どうしたわけか子どもの先回りはあまりしない。これって、かなり難しいことなのに、どうやって先回りせずに済むようにできたの?と聞くと、「はなちゃんのみそ汁」が大きかったという。

病気のため、まもなく死んでしまうことがわかっていた母親が、まだ幼い娘のはなちゃんに、みそ汁の作り方を教えた話。これを新聞記事などで出産前に読んで、深く考えるところがあったらしい。
赤ちゃんの間は「私がいないと」ってなる、でも「私がいなくても」生きられる子に育てなきゃ、と。

私達夫婦が、四十歳前後で結婚し、子どもも高齢出産だったことも大きいかも。友人で早くに亡くなったケースも出てきていて、自分もいずれ死ぬ、という自覚がある。子どもが成人するのをみることができない可能性がある。ならば、「私がいなくちゃ」ダメな子育てをするわけにいかない。

「私がいなくても」この子が生きていけるように。生きていく力が身につくように。高齢で子どもが生まれた私たちは、常に自分が死ぬことを前提にしながら、子どもを育てている面がある。親がいなければ生きていけない子どもでは困る。それが私たちの育児の基本前提になっている。

もちろん、子どものてきることはたかがしれている。大人ができることをすべて身につけることは無理。スモールステップで、少しずつ身につけるしかない。これは焦っても仕方ない。子どもが楽しく、能動的に学び、力をつけていく。そのスタイルを身につけてもらえればな、と思う。

新生児育児は、「私がいなくちゃこの子は死んでしまうかも」という不安が強く、眠らないなら眠らないで「眠ってくれよ」、寝たら寝たで「息してる?」と呼吸を確認せずにいられない。このか弱き命を絶やさないように必死になるうち、「私がいなければ」思考が身につき、習慣化してしまう。

しかし、子育てのゴールは「私がいなくても」なのかもしれない。いずれ先立つ親の自分がいなくなっても、赤の他人だらけの「第三者の海」に飛び込んで、泳いでいける人間に成長するように。子育てでは、常に自分がいなくなることを想定しながら、という思考が必要なのかもしれない。

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