「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」抜粋

今のところヘレンには規則正しい授業をしないようにしています。(中略)子どもがまだ役に立つ用語を習得していない時期に 、勉強の時間や場所を決めたり、また決められた課題を暗唱するように強いることはまちがいだということについ最近気づきました。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.33

子どもは口をきき始めるずっと前から、自分に話しかけられたことの内容を理解します。

「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.34

彼女の心を刺戟して、興味を起こさせるために全力を尽くし、結果を待つことにします。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.34

現在自分が大変難しいことをやってのけているのだということは露知らず、毎日新しいことを学んでいます。ちょうど鳥が飛ぶことを学ぶように、彼女もそうせずにはいられないから学んでいるのです。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.35

一日のうちに何回となく繰り返すことによって、時が経てば、文章全体が彼女の頭に印象づけられ るでしょうし、また、やがて自分で文章を使うようになるでしょう。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.35

私はこのごろ、念入りに作りあげられた特殊な教育方法にすべて疑問を抱きはじめています。(中略)子どもは(中略)無知なる者だという仮定のうえにたてられているように思えるのです。ところが、子どもは好きなようにさせておくと 、たとえ目立たなくても、より多く、より良く考えるものです。
p.37

実物に触れさせたり自分で感じたことをまとめたりさせるべきです。なぜなら、そのような先生の教え方だと、子どもは生き生きとした経験から自由な考えを養う前に、除かなければならない不自然な連想で頭をいっぱいにしてしまうのです。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.37

私が規則正しい授業をすることを考えなくなってから、かえってヘレンははやく覚えていくようです。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.39

私は、子どもに教えたことが定着したかどうかを確かめるために、教師があくせく子どもに働きかけるのは、大変な時間の浪費だと確信しています。子どもは自分の本分を果たしていますし、また播いた種子はやがて実を結ぶだろうと考える方がより賢明だと思います。
p.40

ヘレンは自分の経験してきたことをすべてお母さんに話したがります。自分に話されたことを他人に話したいという欲求は(中略)ことばの習得にとってはかり知れない刺激になっています。私はヘレンの友達全部に(中略)ささいな進歩にもできるだけ好奇心や喜びを示してほしいと頼んでいます。
p.41

もちろん、彼女は多くのまちがいをして、単語と句をとりちがえたり、前後を誤ったり、名詞と動詞を滅茶苦茶に混乱したりします。しかし、このようなまちがいは、耳の聞こえる子どもでもします。私はそうした困難は何とか解決できると確信しています。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.41

話したいという衝動はとても大切なことです。 私はいたるところで単語や、時には文章を補って、彼女が抜かしたり忘れてしまったことを暗示します。 こうして彼女の語は急速に増え、新しいことばが芽生え、新しい思考を生みだします。
p.41

余り説明しすぎると、子どもの注意を個々の単語や文章に向けさせてしまい 、子どもが全体の意味をつかむことに失敗してしまいます。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.73

自分が世の中の役に立っているとか、誰かに必要とされていると感じることは大変なことです。ヘレンはほとんどすべての点で私を頼りにしてくれますが、このことが私を強くし、喜ばせてくれます。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.74

私は余りに「形式的な会話をさせてことばを教える方法には賛成できません。それはばかげたやり方で、生徒も教師をも無感覚にします。会話の目的は、ごく自然であって、お互いの考えを交わすことにあるはずです。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.75

ある概念が子どもの心の中で はっきりできあがっている場合、その概念の名前を教えることは物の名前を教えることと同じようにやさしいことなのです。 でも概念が子どもの心の中にまだ育っていない場合に、その単語を教えることは非常に困難です。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.87

子どもに甘い物をあげると、彼は舌を動かし舌鼓を打って喜びます。このとき彼ははっきりとした感覚をもちます。そしてこの経験のたびごとに、甘いという単語を聞いたり、あるいは手にその綴りを綴ったりすると、彼はこの感覚に対してこれらの記号をすぐに採用するでしょう。
p.88

子供の教育で重要なのは、感覚を多く経験する能力であって、言葉ではないのです。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.88

この黒板の練習問題ほど確実に、子どもの自然に話そうとする衝動をこわしてしまうものはない、と私は思います。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.90

ことばを習っていると言う意識を起こさせずに、知力が増してちゃんとした文章を要求するようになるまでは、一音節の単語でもよいから、指や鉛筆でとりとめのないおしゃべりをさせるべきなのです。ことばは彼の心の中で、学校でのあきあきする長い時間や、難しい文法の問題や、その他 の喜びの敵となるものに結びつけられるべきではありません。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.90

しかしまわりの世界についてより多く学ぶにつれて、彼女の判断力はより正確になり、推理の力はより強く、より活発に、しかもより敏感になり、この知的活動を表現することばは、流暢さと論理性とを得るようになった。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.97

情緒や知的内容や道徳的内容および行動を表わすような単語は、常にそれらのことばを要求するような状況と結びつけて使うことを実践した。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.98

彼女にことばの使い方を教えるときに、私は特定の理論や方式にとられないように教え子の自発的な心の動きを観察し、それから得られる示唆に従うようにしてきました。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.100

彼女の授業は訪問地でのさまざまな情景や経験を通してなされてきました。 彼 女は学ぶことに対して最初と 同じような熱心さを示し続けました。 彼女を勉強にかりたてる必要は少しもありませんでした。それどころか、彼女を例題や作文から引きはなすようになだめすかす必要さえありました。
p.100

私は生徒に簡単な定義を与えて先に進むのが最善だと考えた。なぜなら、これらの定義はあいまいで一時的なものであっても、お互いに意味を補いあい、今は漠然としたことでも明日になるとはっきりするだろうと考えたからである。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.108

私は私の生徒を、自由で活発な人間とみなし、その生徒自身の内発的な衝動が私のもっとも確かな導き手だと考えた。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.108

彼女があれやこれやの単語を理解するだろうかときかれたとき、私はいつも答えた、「文章の中の個々の単語を彼女が理解するかどうかを気にする必要はありません。彼女はその新しい単語の意味を、これまでに知っている他の単語との関連から推理するでしょう」。
p.108

彼らの言語は、彼らが家庭で聞いた言語の記憶である。毎日の生活での会話の無数の反復が、ある単語や旬を彼らの記憶のなかに印象づけ、彼らが自分自身で話をするときになって、これらの記憶が彼らの言おうとする単語を補給するのである。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.120

私は決して言語を教える目的のために、言語を教えたのではない。考えを伝える手段として不断に言語を用いたのである。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.121

言語の学習は、知識の獲得と一致する。言語を知的に使うためには、人はそれについて話す事柄をもっていなければならず、また、話す事柄は経験の結果もつことができる。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.121

最初私は、私の生徒をどんな方法にも縛りつけようとはしなかった。私はいつも、何が彼女の興味を最もひくか見つけだし、それが計画した授業に関係があろうとなかろうと、それを新しい授業の出発点にした。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.121

彼女の知的生活の最初の二年間は、私はヘレンにあまり書かせないようにした。 書くためには、人は書くべきものをもたねばならず、書くべきものをもつには、精神的な準備が必要である。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.121

子どもは、何か言いたいことをもつ前に書くことを強制されることが多すぎる、と私は思う。自己抑制することなしに考え、読み、話すことを考えれば、彼らは書かずにいられなくて書くようになるだろう。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.122

ヘレンは、言語を、法則や定義の勉強よりも、実践と習慣から習得した。わけのわからない多くの分類や、術語や品詞活用表を伴う文法は、すべて彼女の教育では放棄された。 彼女は言語を生きた言語そのものとの接触から学んだ。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.122

私はどの子どもも、私たちが正しく指導すれば、活発になり、発展する気高い能力をどこかにかくしもっていると信じている。しかし、私たちがいわゆる初歩というものを彼らに注ぎこもうとし続ける限り、彼らの高い力を正しく開発させることは決してないだろう。
p.122

はじめの間は、彼らが自然の中に大きな喜びを見出すように指導しよう。彼らを野にかけさせ、動物について学ばせ、真実を観察させよう。 子どもたちは、正しい情況のもとで は自分自身を教育するのである。彼らは教授よりも指導と思いやりをより多く求めている。
p.122

私は、多くの読書をして準備されなければ、独創的な作文も不可能だと確信している。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.123

私は、読書は、学校での正規の学習からは独立してなされるべきであると考える。 子どもたちは、純粋に楽しむために読もうとするだろう。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.123

単語を一つ一つ定義し分離して教えるべきではなく、たとえわからなくても、何度もくり返しくり返し教えるべきであるということである。これはサリバン女史の偉大な発明である。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.124

このようにしてヘレン・ケラーは、ゆりかごの子どもが単語を用いるようになる前にその単語を何千回も聞き、単語をそれが発音される場面と結びつけて吸収するように、それを吸収した。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.124

彼女の第二の原理(もちろんこの順序は任意である)は、きらいなことや退屈なことについては子どもに話さないことである。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.125

サリバン女史は言っている、なぜことばの授業を子どもたちに興味のある事柄からはじめないのか?と。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.125

質問する子どもを黙らせることなく、できるだけ正確にその問に答えるという原理は、彼らが興味をもっている事柄について話しかけるという考え方に似ている。 サリバン女史は、「質問は子どもの心の扉である」と言っている。
p.125

われわれは文章を一語一語理解するのではなく、全体として理解するのである。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.125

彼女は文法をまったく知らなかったし、またそのことを全然気にしていなかった。彼女は言語を言語自身から学んだ。 これは、話された言語を聞くことと合わせて、外国語を文法から始めるわれわれの学校での方法よりも、容易でしかも生き生きと学ぶよい方法なのである。
p.127

ヘレン・ケレーの能力が十倍あったとしても彼女が最初から、 そしてまさに最初によい教育を受けなかったとしたら、今日ある彼女のようには成長しなかったであろうことも確かである。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.128

それは健康だが耳の聞こえない子どもの教育に応用することができるし、さらに広く解釈して、すべての子どもの言語教育に応用することもできるのである。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.128

ハウ博士が、「教師は子どもではあり得ない」というのは正しくない。 壁児がはねまわって遊ぶようになり、子どもらしい事柄に興味を示すようになったときには、教師は子どもにならなければならない。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」p.129

「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」
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