もしもお金が腐ったら

もしもお金が腐ったら。
すべての商品と交換可能でありながら、それ自体は決して腐らない、お金。このため、お金は「貯蔵できる」という変な性質を備えた。お金持ちは、腐らないお金を貯め込むことでお金持ちになることができる。お金持ちは、お金が腐らないからこそ生まれた存在。

もしもお金が腐ったら。
放っておくとお金が腐っていく場合、お金をためておくメリットがなくなる。あるならある分、お金を使っちゃったほうがよい、となる。貯めようにも腐っていくから貯められない。ということは、働いてお金をもらい、もらったお金は使っちゃったほうがよい、となる。

お金をもらうためにみんな働くようになる。お金を貯めても仕方ないので、みんなお金を使うようになる。だから発行されたお金は、すべて消費に回るようになる。消費に回らずに貯め込まれるお金は無くなり、お金の出回る量はそのまま消費を促すことになる。景気も悪くなりにくいだろう。

景気が悪くなる原因の一つは、「お金が使われなくなる」から。あ、景気が悪くなるな、と思ったお金持ちは、お金を投資に回さなくなる。貯め込む。すると、お金の回らない業界の労働者は給料を減らされたりクビを切られたり。その人たちが消費を減らすから、さらに不景気が加速する。

「お金が使われなくなる」のは、お金が腐らないから。お金を貯め込んでもそれだけでは増えないけれど、少なくとも額面は減りはしない。だから、不景気になるとお金を貯め込んでしまう。お金が腐らないのは、景気を悪くし、消費を手控え、皆が貧しくなる大きな原因。

お金が腐るようになると。お金はずいぶんと違った性質を備えるようになる。お金は「貯め込むもの」ではなくなり、「消費するためのもの」に変わる。商品やサービスを購入し、消費するための。となると、腐るお金は、国民が消費する量を制御するツールになるように思う。

腐るお金は貯め込まれなくなるので、基本、すべていつかは消費に回される。腐るお金を大量に発行すれば消費は(ある程度)促され、発行量を抑えれば消費量は(ある程度)抑えられる。腐るお金は、国民総消費量を制御するものになるのかもしれない。

お金の腐る速度を消費する分野によって変えた場合、その分野の消費を促すことにつながるかもしれない。たとえば二酸化炭素排出の少ない製品を製造するメーカーが腐るお金を手に入れた場合、腐る速度が半分になるとしたら。その企業はその分儲かり、消費者に安く売ることが可能になり、競争力が増す。

腐るお金の世界になったら、たぶん、借金しても金利はなくなる。金利がない代わり、「借りたお金と同じ金額のお金を、10年後にお返しします」という約束になる。貸す側はそれでもメリット。手元に置けば腐っていくお金が、人に貸せば10年後に腐らずに同じ金額のお金を戻してもらえるのだから。

腐るお金の世界で、銀行はどう生き延びたらよいのだろう?たとえばお金が年2%で腐っていく(100円が1年後に98円に減る)場合、銀行は「うちにお金を預けてくれれば1%しか腐りませんよ」と約束。企業に貸す場合は「1万円貸したら、10年後に1万円で返してね」と要求。すると、1%分儲かる。

腐るお金は、どうやって発行したらよいだろう?たとえば、現在の腐らないお金はそのままにして、ベーシックインカムとして腐るお金を配分したとしたら。「それなら地域振興券と変わらんやん」という指摘もあろうが、微妙に違う。そして微妙な違いが、意外と大きな違いになるように思う。

地域振興券は期限までは1万円なら1万円で使える。確かに手にした地域振興券は必ず使い切ろうと皆がするけれど、これ、消費の回転は一度こっきり。支払われた地域振興券は、お店の人が役所指定の銀行で現金に換えてもらう。地域振興券は消費に使われる機会が1度きり。

腐るお金は、1万円がそのうち1万円でなくなる。ここが大きな違い。また、腐るお金は地域振興券と違い、それ自体が現金。支払いを受け取ったお店側も、その腐るお金を仕入れの支払いに使う。腐るお金を手に入れた仕入れ先は、また原料メーカーへの支払いに。腐るお金は何度も消費に使われる。

腐るお金は地域振興券と違い、何度もの、何層もの消費を促す効果がある。腐るお金は地域振興券に似ているように見えるが、ちょっとの違いが大きな違いになるように思う。何度も何度も消費の現場で使われる現金であるという点は、非常に大きな違い。

もし腐らない現在のお金が流通したままで、腐るお金を国民みんなに配った場合、真っ先に使用されるのは腐るお金だろう。手元に残していたら年2%ずつ腐っていって目減りするんだから、なるべく手元に残したくない。人から人へ、腐るお金はどんどん手渡されていく。

すると、現在の腐らないお金は市場で出回らなくなり、腐るお金ばかり出回るようになる。事実上、経済活動のすべてが腐るお金でやりとりされるようになる。いわゆる「悪貨は良貨を駆逐する」というやつ。腐らないお金は記念品としてとって置かれることになる。ほぼ使われなかった慶長大判のように。

すると、現在の腐らないお金は市中での需要がなくなり、腐るお金だけで経済が回せるようになるかも。政府は、腐るお金を毎年決まった量発行すれば、予想通りの消費を促すことができる、という経済運営が可能になるかもしれない。

ケインズがゲゼルの腐るお金(この表現は私が作ったもので、ゲゼル自体は減価するお金、と呼んだ)を評価したのは、理由があるように思う。ケインズは、それまでの経済学が「生産」を重視していたのを、「消費」に軸足を移した点で画期的だった。腐るお金は、「消費」に軸を置いた貨幣の形。

そして、腐るお金の発行の仕方を工夫すれば、エコ消費を促すことが可能。消費を促しながら、環境負荷を低減するということが可能になるかもしれない。腐るお金は、これからの人類が進もうとしている道にとても適しているような気がする。

もし政府が、国民一人当たり30万円分の腐るお金を配分したらどうなるだろう?たぶん、現在の腐らないお金は誰も使用しなくなるだろう。給料で腐らないお金を別にもらっても、配分された腐るお金だけでなんとか1か月しのごうとするだろう。

国民みんなが腐るお金しか使わないもんだから、企業が入手できるお金も腐るお金ばかり。給料も腐るお金で給料を渡すしかなくなる。でも、それだと労働者側としては腐る分、損をする気分。そこで政府は、支払われる給料に、腐って減る分だけ、腐るお金で補填する。

国は、腐るお金が腐っていく速度の分、腐るお金を発行し、配分すればよいことになる。すると、みんな腐るお金の給料をもらい、腐るお金で消費する社会が、あっという間に訪れそう。

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