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紀里谷和明インタビュー

「新世界」コミュニティメンバーによる紀里谷和明さんのインタビューを毎月掲載することになりました。紀里谷和明さんが普段考えていることや、生き方、創作について熱く語っていただきます。


緊急告知】

インタビュー記事を読んでいただく前に1月31日に紀里谷和明さんが発表された作品「新世界」パイロットムービーの告知をさせていただきます。

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『新世界』パイロットムービー発表

紀里谷和明さんコメント付きバージョン

紀里谷和明さんが新たに手がける作品 『新世界』パイロットムービー映像が1月31日に公開いたしました。作品づくりの第一歩となるパイロットムービー制作にあたり、クラウドファンディングプロジェクトを「Makuake」で実施。903人の方からご支援をいただき、完成したそうです。2022年の本編に向けての『新世界』制作の第一歩であり、これまでの協賛の概念を大きく変える試みが用意されており、その長編実現に向け、協力企業パートナーを広く募集されています。 詳細は info@kiriya.com までお願い致します。

「現在のクリエイティブ業界は、自由なマインドで創作を行い、
受け手はそれを垣根なく楽しむ、ということが難しい状況に置かれている。
真の意味での「クリエイティブ」それを支える環境はインディペンデントで
自由なものであるべきではないか。

クリエイティブの崩壊、そんな問題意識を持つ映画監督の紀里谷和明が
発起人となり、クリエイティブの復興を掲げ、作品の創作過程や発表方法、
マネタイズのビジネスまでをアートと捉え、誰も見たことのない映像表現で挑む
新たな作品づくりを通して、芸術の本質を問いかけます。」

                       KIRIYA PICTURES HPより

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「嘘のない会話、会話で終わらない行動、美を忘れない会話と行動」

ーーこの3つをコミュニティ内で行っていこうと紀里谷さんは提案されました。この心がけをいつ頃思いついたのか、そしてきっかけや理由をお聞かせください。
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【紀里谷】いつ頃からでしょうか。今まで、人生を通してどうすればいいんだろうって事をすごく考えていました。今日、僕のTwitter https://twitter.com/kazuaki_kiriya/status/1338668677374246912?s=21
にも書いたんですけど、世の中の人の不幸って「混乱」から生じる事だと思います。いろんな人が悩んでたり、苦しんでたりするのは混乱からだと思うのです。そう思いませんか?これも欲しいし、あれも欲しいとか、これをやりたいんだけど、こっちにリスクがあるからちょっとやめておこうなど。まあ、いわゆる自分の中に「矛盾」が発生する時にその混乱が起きて、「混乱」が起きるから苦しむと思うんです。僕も若い頃すごくその苦しみがあって振り返るとやっぱり混乱だったわけですよ。

 混乱は社会が押し付けるわけですよ 。例えば「子供だったらいい子にしてなきゃいけない」とかです。そこで「いい子って何なの?」っていうことが説明されないまま「いい子にしなさい」って言われるんです。でも、社会では違うことを言ったりするわけですよね。「もっと自由になれ」とかです。

つまり社会自体に混乱があって矛盾がある。親も混乱と矛盾を抱えている。その親が子供に教える。学校がその混乱と矛盾を抱えている。その学校が子供を教える。先生も混乱しまくってますからね。

つまり世の中「混乱」しているというわけですよ。それは「矛盾」をはらんでいるからです。

 そして、なぜ混乱するかというと矛盾に気づかないままでいるから混乱するわけですよね。 「あ、これには矛盾がある」と思ってしまえば 、じゃあ直そうと解決策が出てきます。しかし、それが見えないまま矛盾を自分の中で抱え込むから混乱があり、そのまま進んでしまいます。そこで、僕は常にどうやったらその混乱が解けるのかってことを常々考え続けているわけです。 だからなるべく「物事をシンプルに考えよう」とか「持ち物減らしてみよう」とか色んな物を減らすことによってシンプルになることによって、混乱が減るんじゃないかなっていう僕の直感がずっとありました。

 これはもうずっとです。それをちょっとずつちょっとずつ自分の中でなるべく自分のわかりやすいような言葉に置き換えていってきたわけですよ。その3つのことも別にそれが最終形ではないと思いますし、みなさんとコミュニティの中でやり取りさせてもらって、どうやったらこのコミュニティの中での混乱を少なくできるのかって言うことも考えました。 そして、皆さんもとにかく混乱していると思いました。

 僕もこの会をやり始めては、皆さんがして欲しい事は何なのかなとか考えました。やって欲しい事はあるんだけどもなかなかうまくいかないなど、色々ありましたよ。コミュニティにとっても矛盾がありました。だから、コミュニティのLPをまたやり直そうということになっています。常に常に改善なんですよ。 今は3つの言葉で話していますが、もしかしたら1つの言葉で表現できるかもしれない。また、それは人それぞれ違う言葉で表現できるかもしれないですね。

「美」のことを考えていれば 、変なことはできないですよ。

 シンプルにまずコミュニティの中では何を目指そうとしているのかということを考えたわけですよね。最初は創作で裏側を見せれればいいかなと思ったんだけど、なかなかそういう風にもいきませんでした。じゃあ実際に一緒に創作をやってみようっていっても、そこまでのテクニックも皆さんありませんでした。かといって、「やりたい、やりたい」って言うんだけどけど最終的に最後までやりきらないとか。まあそこも「混乱」がありました。そうであればじゃあ一番シンプルに考え始めた事が、まずはこのコミュニティでは、「正直に話しましょう」とシンプルに。

 「正直に話しましょう、言いたい事は言ってください。嫌なことは嫌だと言ってください。自分がやりたいことはやりたいと言ってください」とです。例えば誰かが「これやりたい」って正直な気持ちを言いました。しかし、それが大きくは会話だけで終わっちゃうわけですよ。まあ年末の「来年の抱負」みたいなことで終わっちゃうから「会話で終わらない行動」にしてくださいと言いました。

 そうなると「正直な会話」があってそれなりに「正直な行動」が起きますよね。しかし、そこに「美」がなかったらただ単に人を苦しめてしまったり、傷つけてしまったり、自分のエゴだったりとか、自分の身勝手だったりとか。 それでは僕はよくないと思うから、そこに「美」というもの持ち込んだ。「美」のことを考えていれば 、まあ変なことはできないですよ。人をだましたりとか、嘘ついたりとかなんかそういうようなことは美しくないって人は思っちゃうから。だからその3つさえコミュニティの中でやっていれば間違いはないんでしょう。そう思ってコミュニティの中でそういう風に言わせていただきました。


ーー「愛」という言葉についてお聞かせください。

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【紀里谷】「愛」という言葉は一番誤解されている言葉じゃないでしょうか 。これだけ世の中で使われる言葉も珍しいです。ありありとあらゆる歌で歌われるし 、ドラマとかにもすぐに出てくるし、スローガンでもありとあらゆるところで出てくる。そして、CMにも出てくるし、キャッチコピーでも出てくるし、いろんなところで「愛」という言葉はこれだけ使われるのに日常生活で「愛」という言葉が使われることほとんどない です。特に日本国においては。「Love/ラブ」ということに置き換えていくとアメリカは違いますよ。日本国において「愛してるよ」って言ってる人を聞いたことがない。親が子供に向けて言っているところも聞いたことがないです。うちでは少なくともそうではありませんでした。恋人同士でそう言う人もなかなかいないと思うんですよね 。すごく不思議だなあと思いませんか?これってスローガンでは語られるのは実際には語られない。

 「愛」とは何なんでしょうか?

 多くの人たちにとって特に、歌手とかいわゆるそのポップカルチャーの文化の中で使われている「愛」というのはものすごく大きな誤解が起きていています。彼らが使ってる「愛」というのは「恋」のことなんですね。「僕はあなたを愛してる、ベイビー」と言うような歌詞があったとして、それは 「今私はあなたのことを好きですよ」って言うことを「愛している」っていう風に置き換えて言ってるわけですよ。これはどういうことかと言うと、「愛」と「恋」があるじゃないですか。「恋」というのは所有の概念が含まれると思うんですよ。「私はあなたのことが好きです。でも、あなたが私のことを好きじゃなかったら、私はあなたのことが好きじゃありません。私たちは今愛し合っている。しかし、あなたが私の事を愛してくれなくなったら、私はあなたを愛しません。それどころか、あなたの事を憎むでしょう。」という概念があるじゃないですか。これ自体がそもそも「愛」ではないんですよ。

 「愛」にはON/OFFスイッチがついているわけではない

 それは「恋」なんですよ。「恋」は冷めるじゃないですか。それは状況によっては変わってしまうんですよ。しかし「愛」というのは不変なものであって、損なのか特なのかっていう概念が含まれていないと思うんですよ。「恋」には含まれています。だって、「これしてくれたから、私もします。」「私の事を愛してくれているから、私もあなたを愛します。」きわめて変なことです。

「愛」はそもそも「無償」である

 「無償の愛」という言葉があるけれども、そもそも「無償の愛」という言葉は、僕から言わせると重複の言葉であって 「頭痛が痛い」と同じことです。「愛」はそもそも「無償」であるわけです。一番わかりやすいのは家族に対する「愛」です。特に親が子に対する「愛」が一番わかりやすいですよね。子供がどうであれ親っていうのは「愛」をそそぎ続けるわけですよね。それに対して子供はありがたりもへったくれもないし、文句をつけるけれども、親は「愛」を注ぎ続けるんですよ。そこに見返りは求めていません。まあ、求める親もいるかもしれませんけれど。だから、家族間での「愛」はありますよね。分かりやすいのが親から子への「愛」ですよね。そのように他人に対して「愛」を注ぎ続けられるのかっていう事だと思うんですよ。しかし、それはなかなか簡単な事ではないです。それなのに、世の中ではいろいろな話題で取り上げらるので不思議な言葉だと思います。


ーー紀里谷さんは他人に愛を注げますか?

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【紀里谷】愛は注げるかどうかではなくて、注いでしまっているかどうかだと思います。注ごうと思ってやる事でもないし、注がなければならないっていうのも変な話です。「あなたは愛が足りない」という人たちがいますが。「他人に対して愛が足りない」とか「あなたは愛を注げてない」と強制されることでもないし、こういった事とは「愛」は無縁のものだと思うんです。


ーーアメリカに住んでこられて、キリスト教徒の方に会ってこられたかなと思いますが、キリスト教徒になりたいと思った事はありますか?
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【紀里谷】あらゆる宗教やあらゆる組織にあるのが損得勘定です。それはキリストが言った事とは全く正反対の事です。それは釈迦もそうだし、例えば、戒名がないと極楽浄土へ行けないとか。そういうことは全く矛盾しています。会社に入るためにリクルートスーツを着ているのも損得勘定でやっているでしょ。宗教だけの話ではないと思いますよ。
 
 ありとあらゆるところで損得勘定がおきていて、自分が特であろうと思う事を得る為に、自分が不思議だなと思うようなことでもやってしまう。この矛盾は混乱となりますよね。「僕はなんで満員電車に乗っているのだろう」とか、「なんでこんな格好して、スーツ着て毎朝仕事に行ってんだろう」とか、「毎朝学校にいってんだろう」と感じながら、それをやってるじゃないですか。宗教も同じですよね。そんなこと関係ないですよね。キリストは「教会へ行け」なんて一言も言ってないですよね。すっごく平たく言うと、キリストはシンプルで「隣の人には優しくしましょう」っていうだけじゃないですか。それをやっていれば済む話なのに、という感じはありますよね。



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インタビュー・製作チーム:Ayako Okura-Walsh、鈴木優帰、遠藤加奈

紀里谷和明 公式Twitter:@kazuaki_kiriya 
コミュニティ 「新世界」 公式Twitter:@shinsekai2020

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