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紀里谷和明インタビューVol.8

紀里谷さんのインタビューバナー3

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コミュニティメンバーによる紀里谷和明さんのインタビューを毎月掲載することになりました。紀里谷和明さんが普段考えていることや、生き方、創作について熱く語っていただきます。

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ーーー 大量虐殺の話について

【紀里谷】先日、クラブハウスで大量虐殺の話になりました。
 例えば、ナチスドイツがユダヤ人にしたこと、日本人が中国人にしたこと、中国人がチベット人にしていること、ルワンダで起きたこと。沢山の人たちが苦しみながら殺されていく。強姦されて切り刻まれて蹂躙されて殺されていく。
なぜこのような事がおきるのでしょうか。
 僕が常に『CASSHERN』からテーマにして考えていること。なぜこんなに酷いことを人間はするのだろうと思うのです。
 しかし、一人一人加害者側に聞いても、なぜこんなことをしてしまったのか分からないと言うのです。ルワンダの件もそうです。アフリカのルワンダというところでは、ある日突然ナタを手に掴み、先週まで仲良くしていた隣町の人たちを切り刻みに行ったのです。自分の奥さんが違う部族であるというだけで殺したりもしたのです。子供でさえも。子供が大人を殺したり、何千何万という人たちがそのようなことをしたのです。

 そのインタビューを後で見ると、なぜこのようなことをしたのか分からないと言うのです。それはそうですよね、先週まで仲良くしていた人たちがなぜそんなことをするのでしょうか。彼らは「集団」というものに自分を明け渡してしまったのです。ナチスドイツも日本もそうです。本来、人間には「人間性」というものが備わっていると思うのです。それは英語で言うと「humanity」といいます。これはさすがにないだろうということをするのです。
 例えば、犬が人間にバットで殴られて死んでいく、殺されていく。そんな光景を見ると可哀想ではないですか。良い悪いを超えて、そんなことをしてはいけません、と可哀想に思う気持ちがあります。それを「人間性」と呼びます。
 隣町の人、それが例えば海の向こうの人でも、そんな風に殺してしまうなんてどこに正当性があるのでしょうか。なんでそんなことをするのかと思います。しかしそれを、私はこの国の人間であり、向こうの人たちは違う国の人間であり、その中のルールがあって、と理屈に従わなければいけないと思った瞬間に、自分の「人間性」を放棄して「集団」に属するのです。
 企業も同じです。例えば、銀行の方が取り立てをして中小企業の方が首を吊ろうが、金を奪ってしまう。だってそれは貸したお金だからという理由を付けて、個人的にはそういうことはしたくありませんと言いますが、会社の方針で仕方がないと言います。そのような事がありとあらゆるところで起きるのです。組織になると全てそうなってしまいます。

 「集団」というものが常にみんなにへばり付いているのです。ですから、知らず知らずのうちに洗脳されていくのです。例えば「インタビューだから」という発想も集団が考えついたものなのです。「インタビューだから」こういう質問をしなければいけないという考え方もそのように洗脳されているので、質問もこうあらねばならないと思ってしまうのです。
 しかし、そこで考えないといけません。「インタビュー」と言っても紀里谷と話しているだけです。その本質にもどると、この「インタビュー」は仕事でもないですし、ただ紀里谷と定期的に会話し、それを皆さんにわかりやすく文章に起こすというだけのことなのです。
 そう考えていくと、「会報誌」や「サロン」という言葉もいらないと思うのです。このような言葉による無意識の洗脳は危険です。ここまで紀里谷と話しているので分かってくれていると思いますが、それでも重力というものが働くのです。こうあらねば、普通こうですよね、といった「予定調和」、「集団意識」になびいていくので、すごく怖いです。

 このコロナの時代でも同じようなことが起きています。「自粛警察」というのもそうですが、あなたたちはなぜそのようなことをするのでしょうか、ということを行ってしまいます。一般人たちが、芸能人の不倫を糾弾することも同じです。皆が「不倫は間違っている」と言うので、私もあなたのことを虐める正統性があると思い込み、散々虐めます。待ってください、人間の心で考えていくとそれはあまりにもかわいそうではありませんか。確かに傷ついた奥さんは可哀想なのかもしれませんが、あなた方とは全く関係のないことです。彼らの問題であり、彼らを裁く権利など私たちにはありません。人間性を否定するところまで叩くということは、僕にとっては道端で犬が人間に囲まれてバットで殴られて殺されていく光景と変わりません。
 彼らはあたかも自分たちが正義であるかのように振る舞います。しかしそれは残酷であることに変わりはないのです。自分たちが残酷であると気づかないまま、人は平気でやるのです。そして、今もそれが起きています。
 ですから、気をつけましょうと言っているのです。本当に気をつけないと、自分が知らないうちにとんでもないことを人はするのです。したくもないことを人はしてしまうのです。ですから怖いのです。大袈裟になってしまいますが、小さいことから始まっていきますのでとても大事なのです。


 戦争もほんの少しのことから始まっていくのです。母親が大変な思いをして産んだ子供を、おまえは陛下のために戦いなさいと戦争に送り出すのです。敵の人間を殺してこいと送り出すのです。狂っています。挙げ句の果てに人を殺して、自分も殺されて、では何が残るのでしょうか。何も残りません。そして母親は悲しくなってしまう。しかし自分の心の内側に聞けば、わざわざ海を渡って人を殺しにいくなんて間違っている、自分の子供にそれをさせるなんて狂っていると分かるはずなのです。しかしそれをすべて放棄して、「陛下のためです」「日本の為です」「軍のためです」と、あたかも当たり前になっていくのです。とても恐ろしいです。
 しかしそれは終わっていないのです。常にそれが起きています。
皆さんはその洗脳に毎日毎日さらされています。「この商品を買いなさい」「普通はこうですよね」「これが正しいですよね」「それは間違っています」などと。ですから、疑ってくださいということなのです。あなたが下した価値判断というものは、あなたが本当に心から思っていることなのか、または頭で考えていることなのか。心から思っていることだけを信じないと、とんでもないことになってしまいます。

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インタビュー・製作チーム:Ayako Okura-Walsh、鈴木優帰、遠藤加奈
画像:zoomインタビュー時撮影

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