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ラブソング

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野村泰史さん音楽インタビュー

 新世界メンバーである野村泰史さんが昨年11月に初の音楽作品「Someone who knows love」をリリース。美しいギターサウンドが印象的なロック・ラブソング集となっています。作品に込められた想いや、制作の裏側を聞きました。

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ーー初の音楽作品「Someone who knows love」リリースおめでとうございます。今回なぜ作品を制作しようと思われたのですか。制作に至るまでの経緯を教えてください。 

野村:ありがとうございます。おかしな表現ですが、「いつか」作品を制作することは決まっていました。自分自身の心の中で。「新世界」に入ってすぐ、紀里谷さんのお話を聞かせていただく機会に恵まれました。

 「いつかの先送りはもうやめよう。今度こそ、今度こそやるんだ。」

 そう決意し、その日から僕の「いつか」がはじまりました。

ーー収録されている曲は3曲全てラブソングとなっていますね。どうしてそのテーマになったのですか。

野村:自分自身を肯定してあげることは、自分を愛してくれた人を肯定することでもある。そんな風に思いました。実はテーマは後付けです。これまでに書き溜めてきた曲の中から今回の3曲が選ばれ、それらが偶然すべてラブソングだったということに気づきました。

 『LIVERPOOL』いう曲は僕が20代の前半まで参加していたロックバンドに対するラブソングです。

 『LAST REASON』という曲はかつて自分が心から愛した女性に向けて。そこから派生して「何かを、誰かを心から愛せたことは、もうそれだけで財産なんだ」という想いを込めたラブソングです。かつての幸せな時間に戻りたいと願うということではありません。”失ったことを嘆く”のではなくて、"そこに確かに存在したということ”に感謝したいのです。

 『Hydrangea』という曲は自分自身へのラブソングです。かつて自暴自棄のようになっていた時期があり、その時期に書いた曲です。ハイドレンジアというのは「あじさい」のことで、梅雨の雨の中に美しく咲く花です。

ーー今回のアルバムについて、野村さんは自身で「音楽短編集」と言われていますね。どうような意味なのでしょうか?

野村:いわゆる「フルアルバム」も作品の形として素晴らしいものです。そして長編小説もしかり。その一方で「短編集」っていうのは、ふとした瞬間に自分の好きなエピソードを日常の小さな時間でいつでも取り出して触れられる良さがあります。

 そんな「短編集」という概念に影響を受けて、3曲どれを聴いても「肯定的」で、かつそれぞれが少しずつ形の違う「愛の歌」に触れられる。どれから聴いたっていいし、どれかひとつだけ聴いたっていい。そんな「音楽の短編集」を作ろうと思いました。

ーー野村さんの力強いボーカルが印象的だと感じました。ギターやベース、ドラムも打ち込みではなく実際にスタジオでレコーディングされたそうですね。レコーディング作業はどうでしたか。

野村:レコーディング本番は、とにかく「時間との闘い」でした。レコーディングスタジオでの録音で、ストリングスの音以外はすべて生楽器です。
 今回、3日間で3曲を録り終えるというスケジュールでレコーディングを行いました。もし3日間で録音が終わらなければ、妥協して曲数を減らすか、レコーディングを延長するか?になります。でも曲数を減らす、ということはしたくありませんでした。勿論、もしレコーディングが延長・・となれば費用はどんどん膨れ上がっていきます。

 だからなんとかこの3日間で3曲きちんと取り終えられるように、事前のスケジューリングとイメージトレーニングがとても重要でした。例えば「1日目のこの時間くらいまでにはドラムの録音が終わっていないと間に合わないよね」という風に一つ一つの工程に対してのデッドラインを設けていき、それを忠実に実行していく、という感じでした。

 まさに「レコーディング本番」という「生ライブ」なんだな、と痛感しました。
 
ーー作詞・作曲で一番大変だったこと、こだわっていることを教えてください。

野村:純粋な作詞・作曲の話とはすこし違うのですが、今回ベーシストとして参加してくれた15年来の親友が一生懸命考えてくれたベースラインを、完全に白紙に戻して全部やり直してもらうという一幕がありました。しかも複雑なベースラインを極限までシンプルにしてもらうというやつだったので、きっと悔しかったはずだし腹も立ったと思います。だからとても彼に感謝しています。

 そして、レコーディングが終わってからのことですが、自然の中でのウォーキングに参加させていただく機会がありました。そのウォーキングに参加されていた中のお1人が「空気うめ~!」と言っていて、それがすごく印象的でした。そうやって、生きていく中で「感じたこと」が、音楽に限らず「表現」に変換されていくのではないかと僕は思っています。だから「作詞や作曲の上でのこだわり」ということからは少し外れた答えとは思いますが、「感じること」というのを僕はとても大切にしています。

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ーー野村さんにとってラブソングとは何ですか。

野村:特に今回は録音中、「その曲が出来るきっかけとなった人との対話」をしているような感覚が強くありました。

 『LIVERPOOL』という楽曲を例に挙げると、このLIVERPOOLは僕(とベースを弾いてくれた親友)が20代前半に参加していたロックバンドのことを歌っていて、特にバンドのリーダーとして僕らを引っ張ってくれた当時のボーカルのことを歌っています。

 歌詞の中に「ソレイユの映画館」という言葉が登場するのですが、実はそれは当時のボーカルの彼がアルバイトをしていた映画館の名前です。当時の音楽活動は本当にその彼におんぶに抱っこで、バンドの運営は全て彼が行ってくれていました。そんな当時を申し訳なく思い出したり、「君は今の僕を認めてくれるだろうか?」なんて考えたり・・。作り話のようだけれど、『LIVERPOOL』の録音の時間は間違いなく彼との対話の時間だったのだと思います。

 だから逆にレコーディング中は、「完成した暁にはどうかたくさんの人に~」みたいな感覚が全くありませんでした。

野村さんより

 本当にたくさんの方々に力を貸していただいて、本作を完成させることが出来ました!「“必要なスキル”をほとんど持たない状態」でスタートを切ってしまった!というのが正直なところでした。

 レコーディングスタジオについても、どこにお願いすればいいのか分かりませんでした。赤羽の立ち飲み屋で一人飲んでいたら、酔っぱらったお兄さんに絡まれました。でもそのお兄さんは実はバンドマンで、そのお兄さんに今回のレコーディングスタジオのことを教えてもらいました(しかもレコーディング当日に再会する)。

 「英語詞、ホントにこれで合ってるの?」と不安になりました。リモートで、ネイティブの観点から添削してくれた方がいました。結局、お互いに顔を見ることはありませんでした。いつかお会いできる日が来るかもしれません。発音を教えてくれた方もいました。

 焦るあまり、空回りして迷惑をかけてしまった方もいます。制作を宣言した時、「完成を楽しみにしています!」と、Facebookなどを通じて応援してくれた人がいました。そうやって未来で待っていてくれる人がいる、ということがどれだけ心強いことか。長い付き合いだから、とベースを弾いてくれた親友がいました。お仕事と、自身のバンドの活動の合間を縫ってドラムを叩いてくれた先輩がいました。 

 めぐり逢いに恵まれ、たくさんの方の力で出来た作品です。期間にして約2か月。不思議な旅のようです。だからこそ今度はもう少し、自分の力でしっかりといろんなことが出来るようにならないといけないなぁと、あらためて背筋の伸びる思いです。

 今年はMVの撮影をします。今後もどうぞよろしくお願いいたします。

(取材:鈴木優帰)

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野村泰史(ノムラタイシ)
1984.10.11生
GLAYさんの『BELOVED』という曲のイントロを弾いてみたいと思ったのがギターを始めたきっかけ。その後高校時代からバンド活動。自分で歌うようになったのは30歳を過ぎたころから。2020年2月に岡山県倉敷市から埼玉県戸田市へ移住。

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Satoko Higashino
今、自分を見つめなおす作業を淡々としている

 アメリカのロサンゼルスにお住まいの新世界のコミュニティメンバーに新世界に入会してからのお話を伺いました。
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 昨年はヒーリングワークショップに定期的に参加して、心のブロックを見つけて手放していく作業を続けていました。その頃ちょうど、8月にTwitterで紀里谷さんの本「地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分を向き合う物語」に出会いました。どなたのTwitterだったかは忘れましたが、まずは、オンラインで無料だったので、第3話から読みました。まさに、自分を見つめなおすのに最適な本でした。自分の嘘というか、思い込みが見えやすくなる問いかけが散りばめられていました。自分が本当に望んでいることを自分の中に発見できる感じでした。モヤモヤしていた事の理由がわかりました。どうして自分が幸せいっぱいで毎日過ごせていないのかを少しずつ紐解いていくのをその本からヒントを得ました。

 当時そのモヤモヤが、目の前の問題として一番現実化していたのは娘との関係でした。

 娘はADHD(多動性障害)とODD(反抗挑戦性障害)だと診断され特別学級でも問題が絶えませんでした。そして、もう学校に行かなくて良いのにと思っている頃に新型コロナウイルスでクラスが休校となり家で勉強する事となりました。すると、今度は私たちの仲が悪くなっていると感じました。

 本を読み終わった後すぐ始まった新学期からは、先ず娘と争う論点を減らしていこうと思いました。「親の見栄ではないか?本当に彼女に必要か?」という事を念頭において、私が本当に彼女に学んで欲しいと思う事だけに絞りました。新世界コミュニティのアーカイブで初回の「支配人との対話」を観てもいろいろな気づきがありました。その後、宿題を手伝うのも辞めましたし、「ZOOMで授業に出たくない」と言えば、「出なくていいよ」と伝えました。そのかわり、「課題をこなせなくて、来年5年生になれなくても、お母さんはそれを変えることはできないよ。でも、また4年生になったとしても、お母さんはあなたの事を愛してるからね」と話しました。

 娘との関係性は私がここは教えていきたいということを明確にしていったので改善しつつあります。それは人を一人の人としてリスペクトするということです。ADHDの特徴もあってか娘は自己中心的です。自分が欲しいものがあれば人を押しのけてでも取りに行くガッツのある子です。それが彼女にとって悪くでてしまう事も多々あり…そういうつもりがなくてもいじめっ子のようになります。したがって、まずは母の私との関係で相手を思いやる気持ちを育てていければという方向になっています。そうすれば、彼女の少し過激な性格ももう少しバランスがとれていくのかなと思います。激しい性格が出る時もありますが、私はここだけは譲れないという線をはっきり引く事で彼女にとっても分かりやすいんだと気づきました。相手をリスペクトできないと、お友達がいなくなってしまいます。みんなでワイワイするのが好きな彼女にとっては一人はきついと思い対応しています。

 新世界では英語部をAyakoさんと共に始めました。英語部では行動する事の大切さを実感しました。考えるばっかりで何も行動を起こさないでいました。いつもの私は考えただけでやった気になっていました。でも、全然実績もなく、自信もなく自分に対して評価が低いというか、評価できるものさえ無いと感じました。それは人生退屈なはずだと思いました。実際にやってみることの違いって大きかったです。英語一つとっても、目的を持って話したり学んだりするのと、ただ必要性に駆られてやるのとでは、全然楽しさが違うなって思ったんです。

 最近は毎日の出来事一つ一つを自分が本当にしたいのか?と確認していく地味なクセがついていきました。本にもありましたが、「今日は何が食べたい」ということまで。そういう感覚を自分はもう無視して生きていたくないと思うようになりました。小さなことですけれど、自分をリスペクトできないと、娘に私をリスペクトしてって言っても無理だと思ったんです。自分の声を聞いて実際に行動に移してみてから感じたのは、圧倒的な幸福感でした。何も人から羨ましがられる生活をしているわけではないんですが、自分のしたかったことをしてあげれるのは自分しかいませんでした。

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(取材:大曲雅美)

現在、「地平線を追いかけて満員電車をおりてみた 自分と向き合う物語」は第1話全文公開されています。こちらから是非ご覧ください。

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コミュニティ「新世界」では様々な活動が行われています。ご興味がある方はこちらから入会してください。

https://www.kiriya.com

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会報誌制作チーム:遠藤加奈、Ayako Okura-Walsh、鈴木優帰、大曲雅美(取材担当)
写  真  提  供 :野村泰史、Satoko Higashino
表  紙  写  真 :紀里谷和明

紀里谷和明 公式Twitter:@kazuaki_kiriya 
コミュニティ 「新世界」 公式Twitter:@shinsekai2020




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