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紀里谷和明インタビューVol.7

紀里谷さんのインタビューバナー3

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コミュニティメンバーによる紀里谷和明さんのインタビューを毎月掲載することになりました。紀里谷和明さんが普段考えていることや、生き方、創作について熱く語っていただきます。

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質問】MV『無重力の夜』は前回の新世界のパイロットムービーとは違う雰囲気があります。どのような意図をもって制作されましたか?


【紀里谷】そのような質問はよくされます。しかし、例えばですが、どのような意図で子供を産みましたか?2人いたとして、その子供たちの容姿は違うと思いますが、どのような意図で2人の容姿は出来上がったのでしょうか。その答えと同じようだと思います。もちろん、理由を言おうと思えばいくらでも作れてしまいますが、結局わからないのです。なぜなら、イメージがでてきてしまうのです。音楽もそうです。作っている時にどうしてA#からE#へ移行しているのですかと聞かれたりしますが、僕は「なぜなら、そのように感じたのです。手がそう動いたのです。」そういう事かなと思います。この部分は自分でもわからないのです。

 しかし、それは説明していく必要があるとは感じています。なぜなら大きな力が働いているからです。それしか言いようがないのです。自分で脚本も絵コンテも書いていますが 『CASSHERN』『GOEMON』どれをとっても書いているうちに浮かび上がってくるのです。そして、「どうしてあそこはあんなストーリーになっているのですか?」と聞かれる時がありますが、私は「なぜなら、そう書いてしまったからです。」としか言いようがないのです。どこまでいってもゼロから浮かび上がってくるのです。ゼロから浮かび上がるということは全く自分ではコントロールができないのです。それを多くの人に理解してもらいたいのです。
 なぜなら、それは皆さんも同じだからです。いつもいいますが、うどんとそばがあった時に「なぜうどんが食べたいのですか?」との問いに対してみなさんも答えはわからないと思うのです。「うどんが食べたいと思ったからです。」としか答えようがないと思うのです。この問いに関しては制作においても全く同じことがいえると思います。なにもないところから浮かび上がってくるのです。それも頭の中にフワッと浮かび上がるのです。理屈をつけようと思えばいくらでもつけられます。しかし、なんとなくそう思ってしまったのです。その素晴らしさその素敵な感覚をもっとみんな見つめて欲しいと思います。素敵だと思いませんか?何もない所からフワッと何かが現れるのです。
 そんな素敵なことはないと思っています。その美しさを大切にしてもらいたいと思います。そうではないものは、ただの知識と情報になります。

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【質問】<シーンごとに意味をもたせる監督もいらっしゃいますが、紀里谷さんはどうでしょうか?>


【紀里谷】シーンごとに意味を持たせることはできます。しかし、その前にどうしてそのシーンは出来上がったのでしょうかということです。できあがったシーンに対して意味をもたせるのです。初めに浮かび上がり、できあがったシーンに対して意味をもたせていくわけです。したがって、生まれててきたシーン、1カット、1カットをもっとよく伝えるにはどうすればいいかということで、そこに意味を持たせていこうということが働くのです。しかし、例えば「真っ黒の部屋に二人の女性が赤いドレスを着て座っています。」という脚本があったとします。この時にどうして真っ黒な部屋で赤いドレスなのでしょうか。どうして、二人なのですか?どうして女性なのですか?なぜなら「そう思ってしまったからです。」ということになるのです。そして、その女性の一人は髪の毛がブロンドでクリクリの髪型で、もう一人は黒色でまっすぐの髪型だとしても「どうしてですか?」と言われましても「なんとなく。」としてしか言いようがないです。これがぼくは美しさだと思っています。そうではないものはただの道具、装置だと思います。
 もし、『新世界』のトレーラーと『無重力の夜』の違いをここで説明してしまうとそこからの美を失って奪ってしまいます。これは皆様が観て感じて下さいとしか言いようがないのです。説明しようとしても説明できないのです。もし、「昨日みた夕日を説明して欲しい。」もし、そう質問された時に「これはちょっと、オレンジ色で少しピンクが入っていて。」そう答えたとしても伝わらないと思います。そして、「ファーストキスを説明してください。」と言われましても言葉では説明できないものがあると思います。ですから映像にしたり、音楽にしたりするわけです。


 感情というのは曖昧なものです。自分は生きたまま死にたいとよく話しています。この作品は死んだ世界のような物を作りました。つまり、肉体がなかったら現実ではないとか、そこの中での美しさであったり苦しさであったりを感じていることをここでいくら説明しても僕がもっている感覚は絶対に説明はできません。
 しかし、その感覚を映像や音に封じ込める事によって似たような感覚を見た人が感じてくれればいいのです。その人が明解に言葉にできるのであれば、それは僕が感じた事とは違うものなのです。私も表現しているものは曖昧ですから。しかし、厳然とその感覚はあります。それは夕日の美しさであったり、ファーストキスだったり、初めて好きな人の手を握った時であったり、初めて生まれた子供を抱いた時であったり、これらは言葉では説明ができない感覚がそこにはあるのです。これは絶対に言葉では説明できません。
 それをしようとしたのが俳句や小説です。俳句は五七五の短い文章で何を言っているのかわからないのですが、聞いただけでなんとなく情景がフワッとした感覚として伝わってくるというのは俳句の素晴らしいところだと思います。俳人は感覚的にわかっていたと思います。いくら文章を連ねてもその感覚は伝わらないのであれば全く違う方法論を考えよう、物事を断片的に考えてみて、それを感覚的にとらえて書いてみよう。そうしたらそれらを人々は感覚的にとらえてくれるかもしれないというものすごい崇高な試みです。それをしないと全て方程式じみたことになっていきます。そして、多くの人から、これはアニメですか?CGですか?実写ですか?誰がでているのですか?これはどこで作っているのですか?カメラはなんですか?という具合な質問がでてくるのです。それはあまりにもつまらないです。


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【質問】このコミュニティーを始めて何か気づいたことはありますか。


【紀里谷】僕は人との接点があまりありません。仕事をする方々、家族の接点はありますが、友達ともそこまで関わりません。ましてや、皆さんのような方々とは普段接点がありませんでした。以前はワークショップも行っていましたが、ここまで定期的に仲良くなって、一緒に行っていたことはほとんどありませんでした。  気づきというよりは、悩みが多かったです。 どうすれば、価値提供出来るのかと、とても悩みました。1000円もらっていたことに対しても、とても悩みました。しかし、かといってサービス業をして、みなさんいいですね、最高ですよ、と言ったり、傷を舐めたりすることだけをやるということもまた違うと思いました。

 最近気づいたことは、実は皆さんはそんなに変化を求めていないのではないか、ということです。口ではもっと進化したい、自分を変えたい、と言いますが、必要でなければ変える必要はないとも言っています。自分にはこういう悩みがあるので解決したい、などに対して、そこまで実は本当に変えたいと思っていないのではないかと思い始めました。普通という言葉は嫌いですが、これが普通なのではないかと思い始めました。そもそも僕はズレているので皆さんと違うかもしれません。芸術家というものはズレているところがあるので、何かを生み出せるのです。

 僕はズレているから、「なんでもやれば出来る」と思っています。誰でも「やれば出来る」と思っています。とにかく全身全霊を傾けて投入すれば、出来るのだと考えてしまうのです。自分に対して向き合っていないからの話であって、僕は厳しいと思います。とても厳しいのだと思います。しかし、それが僕の願いなのだと思います。そうでなかったら僕は絶望しか無いと思います。
 この世の中は生まれる時から能力が全員違っていて、死ぬまでにどんなに努力しようが死ぬまで変わらない、と言われてしまったら絶望しかないと思ってしまいます。


 僕が「日本人だからしょうがない」という人たちが嫌な理由は、日本人に生まれたからハリウッド映画を作れないとか、日本人に生まれたからあれが出来ない、これが出来ない、と言うからです。
 例えば、黒人なのでこれは出来ません、女性として生まれてきたからあれは出来ません、というのと変わりません。確かに日本人として生まれてきてハンディキャップはあります。女性も黒人の方々もありますが、しかしそれを受け入れてしまって、これはしょうがない事だといってしまうのは、余りにも悲しいです。もし、僕の子供が生まれてきたとして、その子が日本人だとした場合、「お前は日本人だからこれは出来ない」と言うのでしょうか。僕は絶対に口が裂けても言いません。そんなことは無いと言います。ですから、自分はその子に「出来る」と言いますし、自分はそう思いますし、そう思って生きてきました。ですから皆さんにもそういうことを言ってしまいます。
 しかしその代償として、中途半端なことはやめてください、と言わざるを得ません。それを求めますと、大変ですし、真剣に取り組まなければいけませんし、とても苦しいです。 しかし、楽にできますよ、などと僕は嘘をつきません。僕の経験からして、楽なことは無かったですから。できる人たちもいるかも知れませんが、僕はできませんでした。何も欲しくないのであれば、今のままでいいです。
 しかし、何かが欲しいのであれば、ものすごく努力しないと手に入りません。毎回同じことを言っています。


 そのように思っていますが、長いことやっていますと、残酷なことを言っていると思う時もあります。ものすごく残酷で、プレッシャーになるようなことを言っているのかなと、無理なことを言っているのかなと思います。
 それならば考え方を変えなければいけないのかと、それで本当に悩みます。
行動で見せてくれと言いましたが、「1年後に死ぬとしたらどうするのか」という質問も、自分が思っているほど皆さんには「渇望」が無いのではないかと思い始めました。皆さん口では「望んでいる事がある」と言うのですが、実はそうでもなく、皆さんはほとんど幸せで、そこまでする必要は無いのかも知れません。僕が異質なので、そのように思ってしまうのかとも思い始めました。ただ、自分から何かを発信していくことは、僕にはできません。何故なら、僕はそこまでエゴが無いのです。こうあって欲しいや、世界をこうしたいなどありません。世界を自分のものにしたい、自分が偉くなりたいなど、そのようなものがありません。いつも言うように、求められたことは提供しますし、聞かれたことは答えますし、僭越ですが教えられることは教えようと思います。それだけなのです。
 それをよくよく考えると、皆さんは自分でも何を求めているのかよく分からないまま、「何か教えてください」と思っているように感じます。オンラインサロンに入っているだけで何かした気分になっている、何を学びたいのか分からないが学んでいるつもりになって落ち着いてしまう。その力学は、日本の大学や専門学校の力学で、お金儲けのツールになってしまいます。本人たちが何を得たいかもわからないまま大学へいくということ自体が、よくよく考えると変な話です。しかし、主催者側からすると美味しい話で、学費を得られるという事になりますが、僕はそういうことはやりたくないし、出来ませんので、戸惑うことがよくあります。

 僕がミーティングでイライラとしてしまうのは、質問が無い、返事が無いといった消極性に対してです。なぜ、消極性にイライラとしてしまうのかと言いますと、自分さえ良ければそれでいい、と僕には見えてしまうからです。
 その消極性というのは一種、控えめであるとも言いますが、それは自分勝手なのではないかと思ってしまいます。本気で取り組んでくれなければ、僕は本当に虚しいです。なんでこのようなことをやっているのだろうと思ってしまいます。

〈紀里谷さんはいつも100%ですものね〉

【紀里谷】100%でやっているのに、どうして100%で返してくれないのですか、と聞くと、「私はあーで、こーで」と言い訳が始まります。それだと、あなたは自分のことしか考えていないのではないですか、という結論にならざるを得ないです。
 自分が怖いからあなたが自分のことを守っているだけですよね。そこにも気付いて欲しいのです。
 気づいてくれたらそれも変えられます。そういうことばかりしているので、自分の子供ですら向き合ってくれなくなるわけです。お隣さんもそうだし、御近所さんもそうだし、いろんな人たちが向き合ってくれなくなるのです。だったら私も向き合いませんよと、その連鎖が始まっていくのです。
 それは全く良いことではありません。確かに僕のように話をするとぶつかることもありますが、あなたのことを気にしていないということではありません。
 ですが、返事をしてくれないとか、ほったらかしにされてしまうと、紀里谷なんかどうだっていい、といったように見えてしまいます。お金もいただきませんし、僕には何の得にもなりません。それでも一生懸命話しているのにシーンとなってしまいます。分からないのであれば分からないと言ってくれれば済むのですが、シーンとしてしまうと、なんでシーンとしてしまうのだろう、なんで僕をほったらかしにしてしまうのだろうと思います分からないのであれば分からないと言ってくれれば済むのですが、シーンとしてしまうと、なんでシーンとしてしまうのだろう、なんで僕をほったらかしにしてしまうのだろうと思います。自分たちが怖いとか、自分のことだけを考えているな、と思ってしまうのでとても切なくなります。
 ですから悲しくなるのであれば、辞めてしまった方がいいかなと思うことも何度もあります。

〈紀里谷さんへ 同じ人が何度も質問するのはどうかと思いますが〉


【紀里谷】それは仕方がありません。それはいいと思いますが、同じ人が来るのであっても、何の発言もなかったら、なぜ来てるのだろう、と思ってしまいます。



〈発言がぶれないようにするにはどうしたらいいのでしょうか〉


【紀里谷】それをやるのでれば、参加してもらわないとできません。
よく思うのですが、キックボクシングでも何でもいいのですが、実際にグローブをつけて戦わないといくらセオリーを聞いたところで頭では理解出来ても上手くはなりません。同じように参加して、発言して、討論して下さい。違うと思えば言って戦ってくれないと、普段僕が言っていることを理解したところで体が理解しません。体が理解しなければ無に等しいです。ブルースリーの映画を何百回見ようが、実際体を動かして戦ったりしない限り分かりません。
 いくら僕の話を聞いてノートを取ろうが分かりましたと言おうが、それを使ってくれないとただの机上の空論なのです。机上の空論で済んでいる人たちが多すぎます。この世界は。だからこのようなヘンテコな話になっていくのです。皆さん偉そうなこと言う、皆さん耳障りのいいことをいう、でも何も響かないのはそこなのです。「愛は地球を救う」と言っても何も響きません。「だって人間なんだもん」も相田みつをさん本人が言えば響くのでしょうけど、あなたに言われても響きません。 なぜ響かないかと言うと行動に移していないからです。行動に基いての言葉ではないからです。体から出ている声ではないから響かないのです。それを説得力と言うのです。言葉に落とし込んで納得した気になる前に、それを誰かにしたり話したり行動してください。言葉にまとめて安心してしまい、分かったようになってしまう前に。そのような生き方をしてください。それを本当に望むのであれば、そのように生きてもらわなければそれは分かりません。

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インタビュー・製作チーム:Ayako Okura-Walsh、鈴木優帰、遠藤加奈
画像:zoomインタビュー時撮影

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