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自分をアゲた一日

仕事の日の朝、自分をアゲる方法。

・一発で起床
・朝食替わりのスムージー作り
・洗顔
・髭剃り
・髪の毛のセット
・昼めし(おにぎり)を作る事
・腕時計装着
・ハンカチ所持

この歳(28)にもなってとは思われる、いや、思われよう(?)。まあ何かしらは欠ける。毎日継続する事が自分をアゲる事と分かりつつ、なかなか出来ないです。

一方で夜、自分をアゲる方法。

・寝る前にnote(これ)

「寝る」と決めたら恐ろしく早いので寝る前=寝る直前だと遅い。
「就寝〇時間前には食事をしない方が良い」と同義くらいに感じています。

「寝る3時間前にはnoteを書く(打つ)」

分かっていてやらないのは特に自分がサガる。という訳で…、

900年・150年・3年・3分

休日出勤(?)返上で一路「上野」へ。朝早くからお一人様時間が始まる事に「オデケケ♪オデケケ♪」状態。まあそんなのもほんの数分。相も変らぬ冬の刺すような寒さにやられました。

東京国立博物館で開催されている「建立900年 特別展「中尊寺金色堂」」と「総合文化展」を観賞(字、合ってますかね?)したのでその際にメモしたことを適当にここで羅列し調理して行こうと思います。

平和の砦

中尊寺と言われると「金色堂」というパブロフの犬。やはりイメージはあのお堂。中に安置されているものを幾つかこの目で見れたのは月並みですが「良かった」と思います。

「金(きん)」で当時の藤原家が示したかったもの。何なんでしょうね…。

金の酸化具合を見ながら

「これが栄枯盛衰ってやつか」とか
「”メッキが剝がれる”の語源はこれか?」とか。

「平和の砦」という言葉が僅かに印象に残っています。忘れっぽいので既に大半は忘れていますが…。ユネスコ憲章の前文にも出てくるようです。

この憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

…分からなくは無いかな、くらいには思っています。

人混みを避けるべく開館よーいドンで行ったもののさすがは美術館ないしは博物館といった所。容易に見学順路が詰まりだしまして…。

「人、多くなってきたし暑いなぁ」とか、
「六地蔵様あっちあっち」とか、
「すみません。ちょっと下がってもらえます?」何て声が聞こえてくる。

そんな中、

「狭いな、ここは一通じゃなくて対面通行か」

とか思いながらいかにも邪魔にならなそうな立ち入り禁止エリアにギリギリ該当しなさそうなSTAFF ONLYの扉の前でひたすら音声ガイダンスを聴く。展示品も見ずに。本来見ながら聴くものなのは分かっているんですが、声のみに浸る・酔いしれる→世界観に没入していく。変だとは思いますが我流の楽しみ方です。ナビゲーターの梶裕貴さん、エエ声やった。

展示室は基本的には暗い。作品が映えるように限られた間接照明しかない。
「壁は、漆喰?モダンアート?吹付タイル?」。さっきの通行や順路についてもそう。何やら一人で「安全衛生協議会」状態。この前のジャケギキと一緒じゃねーか()。ここはひとまず”職業病”で片付けておきましょ。

中尊寺の展示を見終わり別の棟へ。いかにも「近代チック」(表現どうした?)な階段を上がり目的の展示エリアへ。というか仮面ライダーアギトの最終話の北条さんと小沢さんが会話した階段?

今回の一番の目当ては「松林図屏風(長谷川等伯)」。正直なところ仏像や金品にはあまり興味が沸かず、なぜか引き込まれたのがこの屏風。今のところ一番は「燕子花図屏風(尾形光琳)」。

「行け」と言われていながら何かしらの「能動的な目的」を探して僅かに当てはまった今回。水没させたがゆえに指示者の「何故行かせたのか」の理由が分からないままにはなってしまっていた。

形容表現にあたるかはさておき、自分の好きなものを「好きである”理由”や”意味”」を紐解ける大人になりたいな。時代はエビデンスがものを言うので。ポッドキャストの感想はツイッター。酷いことを言うと「噓を書きようによっては書けてしまう」。だからこそ「リアル」を”直接伝えたいのかもしれない”と、ポッドキャストフリークスに行く理由にしてみました。感想(鑑賞者の声)にも耳を澄ませた今日。人混みにしかないリアルな声がそこにはありました。

中尊寺が900年である一方、上野恩賜公園とトーハク(東京国立博物館)自体は150年を迎えたらしいです。自分はポッドキャストに触れて約3年。時代の流れや桁違いの「積み重なって来た物」を横断歩道の先の3分間の噴水に馳せてみたり…。

あと、松林図屏風。引いては水墨画が好きな理由は「アンミカ要素の逆行バージョン」と位置付けているからです。白と黒だけに見えがちな水墨画。それらを生かしているのは「和紙」。詰まる所の「描かれる側自体」だと思っています。それら独特の経年による色味・質感の変化をもってして成される色。

「白って200色あんねん。」が随分前からあったような気がしたり、しなかったりです。

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