2024.3.10 読んだもの2

『月刊同朋』2024年3月号を読んでいたら、無駄づくりクリエーターの藤原麻里菜さんという方が出ておられた。無駄づくりの発明をして、Youtubeなどにアップしているクリエーターだ。
藤原さんの言葉でとても勉強になったことがあったのでメモしておきたい。

元来、無駄のある生活というのは豊かなものですよね。予定に追われて窮屈なスケジュールより、自由時間があったほうが豊かじゃないですか。
荘子に井戸の説話があります。ある老人が井戸の中に入って甕で水を汲んでいました。「はね釣瓶」という道具を使えば簡単に汲むことができるのに、なぜ使わないのかと老人に尋ねると、「機心」が生じるからだと答えます。物事を効率化させようさせようとばかり考えていると、それにとらわれる心「機心」が生まれ、窮屈になってしまうというお話です。
効率化を突き詰めると、莫大な時間を得ることができるかといえば、決してそんなことはなくて、何かまた別の予定をいれたりしますよね。効率化を重視するあまり、ゆっくり過ごしたり自分と向き合ったりという、大切な時間がすくなくなってしまっているような気がします。

月刊同朋 2024年3月号、15頁

この視点にはハッとさせられた。何故便利な道具を使って水を汲まないのかと言われた老人は、それでは機心が生じてしまうと。機心とはたくらむ心だそうだ。
これを自分は、人間がロボットのようになってしまう。効率を考えることそのものが目的の生き方になってしまうということではないかと感じた。
どちらにしろ水を得られるのだから良いではないかと思うのだが、そうではなくて、水をえる目的のためにたくらんではダメなんだと。
たくらむ ということ自体が人間の尊さを見失わせるのかなと思った。

また同じく、『同朋』に、哲学者の谷川嘉浩さんがインタビューで答えていることも、大変興味深かった。

Q:一方、『スマホ時代の哲学』では、常時接続の世界で失われるものとして、「孤独」を挙げておられました。
A:ええ。いまの時代は、精神的な意味で自分一人になるのがすごく難しいと思うんですね。いつも退屈に耐えられず、刺激やコミュニケーションを求めてしまう。そうなると、一人で時間を過ごすことができなくなり、自分自身と対話しながら、ひとつのことを集中して深く考え抜くことができなくなります。
西洋の哲学史を振り返ってみると、例えば20世紀の哲学者ハンナ・アーレントのように「孤独」をポジティブに捉えた人がいました。アーレントは、「孤独」とは「沈黙の内に自らとともにあるという存在の在り方」だと書いています。つまり「孤独」な状態にある時の私たちは、心静かに自分自身と対話するように思考しているのです。
西洋には「個として立つ」ことを重んじる文化的伝統があります。ただし、「個として立つ」というのは、たった一人の個として自分の内に閉じこもることではありません。例えば19世紀アメリカの思想家ラルフ・ワルド・エマーソンは、「私は一人の党である」と言いました。つまり、「私」とはむしろ政党のような複数人からなる合議体であると考えた方がいい。本では「自分の中に多様な他者を住まわせる」ことの大切さを強調しましたが、そうした多面性をもった自分に気づくためにも、一見ムダなように思える静かな思索の時間を保つことが大切だと思うのです。

『同上書』19頁

アーレントの言葉に衝撃を受けた。「孤独」とは「沈黙の内に自らとともにあるという存在の在り方」であると。また、ラルフ・ワルド・エマーソンは、「私は一人の党である」と言っていると。
私たちは孤独はダメなものとか、寂しいものと思いがちだ。特に若いときほど。しかし本当はそうではなくて、孤独な時間こそが必要なのだ。しかも一人だと思っていても、実際は自らとともにあるのだと。自分に最も近くある。そういう中で思索することが大事で、それは孤独の中でしかできない。エマーソンの言葉からは、一人の中にも多様性があることを教えられる。




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