今日出会ったことば 2023.8.18
最近、なぜか、長文を書くことが難しくなってきた。
このnoteにもあまり書いていない。仕事で詩や言葉を紹介することがあるので、その忘備録にのみ用いているのが現状である。
今日もある言葉に出会ったので置いておきたい。
東京新聞で北丸雄二さんが紹介していた言葉である。
北丸さんは、直接民主制にいい意味で役立つと思われていたSNSが、そうではなくて、匿名で誰かを攻撃し憂さ晴らしをするために用いられている現実を嘆いておられた。人間は言葉で誰かを攻撃し憂さ晴らしのためにも言葉を用いる。そのことが悲しいし、悲しみを忘れていくような悲しみをそこに感じる。そのようななかで、このプラトンの言葉は示唆的である。何を本当に話すべきなのか。賢者は話すべきことがあって話す。憂さ晴らしのためではないのである。
また、後者のユングの言葉も非常に今の自分に響くものがある。考えることがめんどくさいときに、人は断じてしまう。この人はこういう人だとか、これはこういうことを言っているのだという風に。言い切るときは考えが足りない時かもしれない。もちろん、言い切るべき時もあるのだと思うが、不安によって、断じてしまうこともある。
多く断じていないか、自己に問うていきたい。
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