研究メモ 毎田周一氏の全集を読みながら気になった言葉をメモしていく
►なるほど、私たち自身が無我になる必要もない、現実を光寿二無量にするひつようもないというのは、慧眼だと感じる。私たちが無我になったり、光寿無量になれば、それを握りしめてしまう。しかしそれは握れないし、握る必要もない。ただ、本来無我であり、光寿二無量であると、教えられていく。その事実に気づく。それを所有する必要はないのである。
►懺悔とは、内部へ自己分析することではない。自己の全体が打ち捨てられることだという。分るようでわからない。どういうことか。