アルテリ17号の藤原さんの文章が心に残ったのでメモしておきたい。
素晴らしい文章だと思った。石牟礼道子さんと過ごした時間は藤原さんにとって、学びとか教訓をえるというものとは全く違う質の時間だったという。
自分自身、教育者となって、若い人と話すことは何か教訓めいたことを言わなければとか、だれかと話すときも何かを学ばなきゃと思って対面することが多くなっていた。しかし、藤原さんがいうように、それは教化と管理の言葉である。そこでは言葉をただかわすという愉悦が失われているのであろう。言葉が道具化してしまっている。そういう言葉しかわからないし知らないということもあるのかもしれない。しかし石牟礼さんと話すときはそうでなかったという。そして藤原さん自身も、そのように若い人を歓待したいという。自分の言葉の使い方を考えさせられた。
2024.3.15 読んだ本
①祖父江文弘『われひとり救われるを由とせず』
②アルテリ17号
③本多弘之先生『微笑の素懐』