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スマホと流転
山下さんがめちゃくちゃ大事なことを言っている。
いろんな事を話さなくなってしまったし、いろんなことが起きてて全部同時進行で、本当はやらなくてもいい連絡と確認作業が多すぎて心から喜べないし、感情を小出しにしてたら、ホンマもんの感覚が全部無くなって何がやりたいのかわからず、ずっと無限にスマホ見て何の印象にも残らなくなって10年すぎた
— 山下陽光 (@ccttaa) November 8, 2023
何が本当のよろこびか分からないようになってしまった。
そしてスマホを見続けてたらますますわからなくなってしまった。
観たいのか分かりもしない動画をボーっと見る人間になってしまった。
これは実は切実な問題なんじゃないかと思う。
無限にスマホを観ちゃう感覚は、仏教の流転とそっくりそのままつながる。
無限の流転の装置がスマホみたいに思う。
スマホを観るだけで空過していくということは何か笑い事ではない。
確かに命そのものは何の価値づけもなく尊い。
しかしその命を無意識にスマホを観るだけで空過させられていくような生き方は本当に良いのかと思わされる。尊い命を尊いと言えるように生きたいというのもまた深い願いであろう。
しかしその深い願いに出会う前に、スマホや動画に時間を溶かされ、時間を空転されていく。その全体が虚しい。だけどやめられないという中毒。
これは現代の大きな問題であろう。土井善晴さん(+M laboratoryさんの紹介している)言葉にもつながる。
土井善晴『味つけはせんでええんです』(ミシマ社)
— +M laboratory (@freakscafe) November 7, 2023
現代の人が競争社会のなかで他者を思いやる気持ちを忘れてしまうのは、「おいしいものを食べすぎているからだ」ーこの理路には目が啓かれた。
今の社会では「おいしさ」というのは絶対的な善であるかのように誰もが思っている。… pic.twitter.com/loWojF6CdO
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