ながいあなぐら

ある方から、手塚治虫が、戦後の在日韓国人・在日朝鮮人の方のアイデンティティの悩みの問題をマンガにしているときいた。
それは「ながいあなぐら」という作品である。
読んでみたらとてもいい作品だった。こちら、全集などにも規制がかかって読めなくなっているそうだ。
しかし、以下から読めるので、多くの方に読んでもらいたい作品だ。

こういうことをテーマにした手塚は、人間の苦難や悲しみということに目が向いていたのだなと感じる。本当に真っ当な感覚だと思う。
上記のHPにおさめられている新聞記事の手塚治虫の論考内にも、外国人差別が手塚の時代においてひどいこと、また「反日」という言葉自体の愚かさのことが書かれていた。過去のことを反省したり、自分達のやったことの問題を見つめること、しっかり悲しむこと、反省することが「反日」なわけがない。
過去のことを「どんどん忘れること」の方がどれだけ愚かなことだろうか。

しかし、私は、手塚ほど社会の問題を凝視しているだろうか。
手塚の問題意識は今日でも全く変わっていない。むしろ状況は悪くなっているようにすら思う。かつては問題視されていた差別や無関心がもはや問題にすらならない段階に来ていると感じるし、その無関心の代表が自分である。

このような社会の悲しみと断絶した、自分は本当に空っぽに思える。

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