見出し画像

大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(2)

 
 大谷哲夫先生の永平廣録の取り組みは、学者として文献を読み、出典を確かめ、異本との比較をして、自分の言葉で現代訳を生み出していく、きわめて正統派のアプローチである。
 そして、ご自身が、曹洞宗の寺の住職であるため、日々の生活も寺のなかであり、勤行や法事もやっておられる。道元が深草・興聖寺や越前・永平寺で営んだ禅道場にも通ずるものがある。
 また、国際交流活動として、中国のお寺を何度も訪問しておられるから、道元の留学生活や中国の古仏たちのことも、身近に感じることができる。

 たとえば、馬祖の弟子で、大梅山にこもって草庵にひとりで暮らし、松の実を食べ、葉っぱを身につけて、30年間も坐禅弁道した法常禅師の護聖寺を訪れて、「8寸の鉄塔一基」を頭上に載せた体験談も、本書に紹介されている。「拝借し頭に載せてみたが、だらしなくも五分ともたなかった」思い出を明るく披露してくださっている。(「永平廣録 大全」第一巻P375-376)

道元和尚廣録現代訳の流れ

 今、僕の手元には、永平廣録(道元和尚廣録)の現代訳が4種類ある。大谷「大全」(勉誠社)、寺田透「道元和尚廣録」(筑摩書房)、鏡島元隆「道元禅師禅宗」(春秋社)、そして昨年出された木村清孝「永平広録 上堂語・小参」全訳注」(校正出版)。
 寺田透は、フランス文学者でありながら、道元の正法眼蔵を「日本思想大系」で上下二巻本として出していて、道元研究への貢献度はきわめて高い。廣録の現代訳も最初だった。「日本の禅語録2」(1980年、講談社)で前半部だけをまず現代訳し(出版社の都合で上下二巻にしてもらえなかった)、最終的に「道元和尚廣録」(上下、1995年)を筑摩書房から上梓して、その年に亡くなった。寺田は道元の言葉を現代に伝えるために、非常に大きな貢献をしている。
 寺田が「道元和尚廣録」の現代訳をつくるうえで、もっとも役に立った資料が、渡辺賢宗・大谷哲夫監修「祖山本 永平廣録 校注集成」(上下巻、発行:大本山永平寺・一穂社、1988年、1989年)だった。これは永平寺に残る手書きの廣録を写真で撮影した影印というもっとも信頼性のたかいテキストをもとに、翻刻、訓読、異本対校、語義注釈、出典考証をした、膨大な共同研究の成果のたまものだった。
 今回、大谷先生が出された「永平廣録 大全」は、ご自身でまとめられた「祖山本 永平廣録 校注集成」をもとにしている。

詩心を感じさせる訳文

 大谷「永平廣録 大全」がどれほどきちんとしていて、なおかつ詩心にあふれるものであるかは、読んでいただくのが一番であるが、参考までに手元にある4人の訳語を比較してみようと思う。大谷先生の現代訳のほうが、よりダイナミックで、海底の珊瑚の気持ちを代弁しているように思える。

 上堂語78(仁治2年、1241年)の最後に道元が詠んだ七言絶句

(読み下し文)
玄黄(げんおう)、染(そ)むること莫(な)し、我が明珠(み ょうじゅ)。
浄鏡(じょうきょう)、何の夢ぞ、好と模(ボ、正しくは女偏)と。
覚(おぼ)えず、重輪(じゅうりん)、塵刹海(じんせつかい)。
夜来(やらい)倒景(とうけい)、珊瑚(さんご)に在(あ)り。

(1) 大谷訳
天の色にも地の色にも汚されないのが、我が明鏡の如き仏法。
この仏法は、浄鏡のように、黄帝の第四妃の醜はそのままに、美もあるがままに 何も眩ますことなく映し出す
知らぬ間に 月の光は大きくなって 微塵世界の海の底まで照らし尽くす
そして 夜になれば 珊瑚が輝き 天に向かって光を発する

(2) 寺田訳
天地玄黄などと言うが、黒にも黄にも染らないのが、われわれの持つよく磨かれた智慧の珠だ。
黄帝の第四妃ボは醜婦として有名だが、そのボにとって嬉しい鏡になろうなどと、どうしてこの珠が夢想しよう。
うかうかしている間に、日と月が、ちっぽけな国土を取巻く海の上にかかっている。夜が来て、逆立ちした珊瑚の影が地面に映る。明視には楽しみが多いではないか。

(3) 鏡島訳
天地もこの仏法の明るさを汚すことはできる。
それは浄らかな鏡のように、美も醜もさながらに映すのである。
人には知られずとも月は天を照らし海を照らし照らさないものはない。
夜になれば天の月は海に映じて海底の珊瑚をも照らすのである。

(4) 木村訳
天の黒色も地の黄色も、わが明珠を染めることはできない。
(それは)清らかな鏡が美女と醜女をまぎらわしく映し出すことはないのと同じだ。
ふと気づけば、ふた重なりの月(重月)が、無数の国土を照らしている。
夜になって、(海底の)珊瑚(ともいえるわが明殊)が、(明々たる光を放って)さかさまの光景を顕現しているのだ。

以上、第二回






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?