マシン→マン インターフェイスとしてのPDF

或いはコンピュータから脳への入力方法について

来週月曜日(3月9日)のデジタル言語学連続セミナー第6回の準備をしている。

インターネット上に、たくさんの電子図書館があって、無料で古典から最新の論文までダウンロードできる

このサービスについて、もっと宣伝してくれないのかと思う。サプライサイドである電子図書館側は、自分はあくまで図書館として、蔵書を電子化してるたまけだから、ことさらに宣伝する必要を感じないのだろうか。

ディマンドサイドである読者は、古典に魅力を感じていない。なぜ古典を読む必要があるのか理解していないから、いくら無料ダウンロードできても、読まない。

インターネット上で無料ダウンロードできるファイルを見つけるためには、書名にファイル形式のPDFを付け足して検索すればよい。


ここで、PDFについて、ちょっと考えてみたい。

本や論文をダウンロードするとき、このPDF形式であることが多い。

JPEGの画像だと重たいし、言語情報として認識できない。テキスト文だと、印刷するときに、アクセント記号をうまく表現できないし、文字化けもおきる。また、改ざんも容易だ。

PDFは、どのパソコンでも読めて、どこでもコンビニでも印刷でき、見た目の狂いがないPDFは、最高。

もしかしたら、PDFこそがインターネットから脳へのインターフェイスなのではないか。(ヴァニヴァー・ブッシュは、1945年にインターネットのようなサービスとして、MEMEXを論じたが、コンピュータから脳へは、骨伝導でつなぐことを仄めかしたが、実現していない。

そんなことを思いつつ、Adobe(アドビシステムズ)について調べてみたら、なんとアドビシステムズを立ち上げた二人(チャールズ・ゲシキとジョン・ワーノック)は、1970年代末に、ゼロックスのパロアルト研究所にいたそうだ。パソコンを発明したのに有名にならなかったことが有名な、ゼロックスである。


ゼロックスの幹部は、PDFを見ても、「そんなにきれいに印刷できたら、コピー機の売り上げが下がる」とでも、反応したのかもしれない。

信頼性の高い印刷フォーマットを生み出したのに、会社が正当に評価しなかったから、スピンアウトしてアドビシステムズを創業したのだ。

今やPDFは、ISOの国際標準になって、人類のフォーマットである。ますますPDFに好感を持ったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?