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大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(6) 正法眼蔵の真筆を見極める

 道元の主要著作は、『正法眼蔵』と『道元和尚廣録』(=永平廣録)の二つです。
   廣録には、祖山本と卍山本の2種の異本がありますが、道元が識語をつかって真筆の刻印を押したのは、祖山本。祖山本だけ読めば、道元の教えに触れられるので卍山本は、読まなくてよいということになります。
 一方、『正法眼蔵』ですが、こちらは、28巻本、60巻本、95巻本、新草12巻本そして75巻本と、異本の数が多いのが特徴です。しかし、ズバリ、75巻本と弁道話だけが真筆で、その他の異本は読む必要がありません。その理由を書いておきます。

 トップ画像にあるのは、「正法眼蔵現成公案第一」の奥書です。75巻本はすべて奥書をもっていて、すべて「正法眼蔵+タイトル+序数」という書き方になっています。そのあとに、いつ、どこで、示衆した(弟子たちに語った)か、そして誰がどこで清書したかも書き込まれています。

 たとえば、「正法眼蔵 魔訶般若波羅蜜多 第二 爾時天福元年夏安居日在観音導利院示衆  寛元二年甲辰春三月廿一日侍越宇吉峯精舎侍司書写之 懐奘」、「正法眼蔵 虚空 第七十 爾時寛元三年乙巳三月六日在越宇大仏寺示衆    弘安三年巳卯五月十七日在同国中浜新善光寺書写之 義雲」といった感じです。

 「建長壬子拾勒」は、建長四年に収録したということです。正法眼蔵第一が建長四年に収録されているなら、残りの74巻も同じ年か翌年収録されたことになります。道元はあえて建長四年壬子と書かずに、建長壬子と書いたのは、この符号化を目立たなくするためだったと思われます。

 書誌学の専門家に質問して、このような奥書の前例があるか聞いたのですが、前例はないようです。道元は、日本達磨宗の弟子たちが、自分が示寂したあとに、偽の正法眼蔵をつくることを予期して、真筆を保護するために、奥書を書いたのです。

 道元は晩年に、75巻はすべて書き改めて、新たに百巻を書き著そうとしたけれど、12巻目の「八大人覚」まで書いて力尽きて、正法眼蔵は未完に終わったということが、まことしやかに語られています。これは日本達磨宗の弟子たちがつくった嘘です。騙されてはいけません。正法眼蔵の75巻がまとめられたのは、道元が亡くなる前年だったのですから。

 南直哉老師は、「けだし、『眼蔵』から「道元禅師の真意」を読み出すことなど、誰にもできない。なぜなら、道元禅師はもういないからである。その「真意」は誰がどう語ろうと、所詮憶測にすぎない。」(門馬幸夫、道元思想を解析する、解説 南直哉、2021年、春秋社)と言っておられますが、おそらく奥書がもつ意味を理解できていないからでしょう。
 正法眼蔵の奥書を確かめれば、どれが道元の真筆かがわかります。真筆だけを読めば、道元の真意は読み取れるでしょう。

 大谷哲夫先生の『永平廣録 大全』のなかには、正法眼蔵からの引用や正法眼蔵への言及も多々あります。しかし、それらは75巻本に限ったものではなく、真筆ではないものも含まれています。注意が必要です。


  


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